■中ジョッキを両手で10杯、運んだあの日。
今から44年前に私はニューヨークに住んでいた。 その時の事情に関しては、話が長くなるので、以前のブログを参照して欲しいので、ここでは省略する。
(ブルー色のところをクリックすると現れます)
ある日のことである。いつもの幹事役のOさんからメールが来た。
『ハワイに在住のSさんが東京に出て来るので、久し振りに同窓会をしよう』というお誘いである。
Sさんは親分肌の女性で、みんなに人気があった。
私は彼女には今年の2月にハワイで開催した『仏像 in ハワイ』でお世話になった。
その時は私の女房も一緒に行ったので、その時のお礼も兼ねて2人で出向いた。
11月30日の日曜日に有楽町のニュートーキョーの中の指定の料理屋に行った。
そこには懐かしい仲間達が勢ぞろいしている。
その日はバスボーイを中心に私達を入れて11人が集まった。
戦争に行ったオヤジ達の年齢の人は『同じ釜の飯を食った』と言って、かなり仲間意識が強いし、特別な関係のようだ。
私達バスボーイ15人も同じような経験から、『同じ釜の飯を食った』仲間である。
銀座ニュートーキョー「さがみ」
当時は色々な事件もあったが、今となっては全て時効である。素晴らしい青春時代の良い思い出しか残っていない。
いつでも、その時の仲間に会うと、40年以上も昔の青春時代に引き戻される。
これが若さを保つ秘訣なのかもしれない。
午後4時から始まった宴会は延々と続き、3時間が経過してやっと終った。
昔話ばかりする私達に女房は少し詰まらなかったかもしれない。
いまどきの若者には『だからオヤジは嫌だ。昔話ばかりしている』と言われそうだ。
でも、そんな若者も40年も経てば、私と同じ年になり、同じ事をするはずだ。
帝国ホテルのイルミネーション
(おまけの話)
ニューヨーク世界博覧会の日本館では劇場付きのレストランを開くので、素人の私達をサービスする側で飲食業に慣れさす必要があった。そこで研修となった。
私は今回の会合の場所となった銀座ニュートーキョーでの研修となった。
そこを通るといつも懐かしさがこみ上げて来る。
他の仲間達はヒルトンホテルに研修に行った。
季節は夏で、ニュートーキョーは当時ではまだ珍しい生ビールをジョッキで飲ませていた。
私は客席係でビールと料理の注文を取り、それを調理場に伝え、生ビールをお客のところに運んだ。
片手に中ジョッキを5杯、両手で10杯を持って、よろよろと運んだ。
そんな研修を1ヶ月もやったが、ニューヨークに行ったら、私はバスボーイなのでお客から注文を取ることはできない。
『では、あの研修はなんだったのか?』と、今になって思う。
その後に翌年の2月に米軍のキャンプ座間で『アメリカ・ミニ体験』の研修があった。
そこで3泊4日くらいだったと思うが、キャンプの中で何かの研修があったが忘れた。
そして、食事の時は食堂でアメリカの兵隊と一緒に食事をした。まだ日本では『ワタナベの粉末ジュース』の時代に、アメリカ兵は新鮮なミルクと生のオレンジ・ジュースを飲んでいた。
メインディッシュは分厚いステーキで、食後には冬だというのにアイスクリームが出て来た。
こんな生活がニューヨークで待っているのかと思うと、私は興奮したのを覚えている。
それが、今では普通の日本人が当時のアメリカ兵と同じ食事をしている。
そして、メタボだとかなんとか言っている。私はあの時代が懐かしい。