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[2018.10.02]
■台湾紀行(2)・・・・台北~台中
 
台北の2日目は頼さんが早朝から仕事に出掛けたので、1人で朝食を食べる。一流ホテルの朝食で500元(2000円)も取るのに、あまり美味しくない。 
 
圓山大飯店は市内から遠く、また古くなったので最近は人気が落ちて市内のアメリカ系ホテルにお客を奪われているようだ。そのせいか、格安旅行の日本からの団体客が多い。 
昔は格式が高く団体客など入れなかったのだが、あの頃が懐かしい。 
 
圓山大飯店のロビーは広い。 
左奥のレストランで美味しくない朝食を食べた。 


10時になって頼さんと2人で市内観光に向かう。昨日、空港に迎えに来てくれた高さんがホテルに迎えに来てくれて台湾総督府まで送ってくれた。 
ここは現在も総督府として使われているので、入場するには厳重な手荷物検査がある。検査後に言語別にグループを作り、ガイドが館内を案内する。しかし私は不満だった。 
 
ここは日本時代に台湾を統治する為に日本政府が建設した台湾総督府だったのであるから、その説明が欲しかったが日本語ガイドは全く説明をしなかった。 
 
台湾総督府の建物は豪華である。 
 
 
総督府の館内は豪華であるが、当たり前だが現在は台湾色に染まっている。この日は台湾初の女性総統である、蔡英文氏が在館していたようだった。 
 
ところで、日本の統治は1945年の終戦までの50年間、続いた。 
そして太平洋戦争(終戦後、アメリカはこの言葉の使用をを禁止した)が終り、中国大陸で蒋介石と毛沢東が戦った内戦に敗れた蒋介石が台湾に逃れて、台湾に政権を樹立したのである。 
 
総督府の近くに「228事件」を記念した公園があった。 
 
 
だから台湾人は日本統治から解放されて、当初は同じ中国人の蒋介石を歓迎した。ところが、これが大間違いだとすぐに気が付く。 
その話は次に訪問した「228記念館」で分かる。 
 
228事件というのは簡単に書くと、「闇タバコを売っていたお婆さんが警察の取り締まりで警官から殴打された。それを見ていた民衆が一斉に蜂起したが、1人の男が警察官に拳銃で殺された。そのニュースがラジオで全国に広がったことから暴動が始まった」。 
 
「228事件の記念館」・・建物は日本時代に建築された。 
ここは以前は放送局で、ここから台北の騒動を伝えたことから全国に蜂起が起きた。 
 
 
「これに驚いた蒋介石が軍隊を導入し、3万人くらいの民衆を無残な方法で殺したのである」。228記念館は日本時代は放送局だったが、今は228事件の記念館となっている。 
この事件があったので、本省人の頼さんのお父さんは外省人(蒋介石と一緒に来た大陸の中国人)が大嫌いだったのである。 
 
台北の官庁街は日本時代の建物ばかり。 迎賓館として使われている旧日本の建物。 
 
 
台北の官庁街の建物の多くは、日本時代の建物をそのまま使っている。 
ここが韓国とは大違いで、戦後の蒋介石の時代ですら日本が建設した建物を壊さずに、今でも修理をしながら大事に使っているのである。 
ランチは台湾の家庭料理の店に行った。値段は高かったが、あまり味が気に入らなかった。 
 
中正記念堂の入り口の「中正広場」から名前を変えた「自由広場」の巨大な門。 
 
 
食後は中正記念堂を見に行った。「中正」というのは「偏らず公平で正しい」という意味だが、実は蒋介石の本名(蒋中正)である。 
だから、かなり名前とは違い、独裁で中正ではなかったというのは大きな皮肉である。 
 
門を入った広場は、その後、中正ではなかったということからか「自由広場」と名前を変えた。奥の記念堂にはアメリカ大統領のリンカーンを真似て、同じポーズの蒋介石像があるのが可笑しい。 
 
中正記念館の衛兵交代に向かう兵士。 
この後に3人がエレベーターに乗ったのを見たが、なぜか可笑しかった。 
 
 
(おまけの話) 
昼食に台湾の小皿料理店に行く。そして午後から新幹線で台中に向かう。この新幹線は日本から導入したので、我々が日本で乗っている列車と全く同じである。台中には約45分で到着する。 
車窓からの風景は、あまり日本と変らない。台中駅には頼さんの友人の荘さん夫妻が出迎えてくれた。 
 
清水港近くの高美湿地の夜景。日没には30分くらい遅かった。 
 
 
莊さんが私に「どこか行きたいところはありますか?」と英語で聞いた。荘さん夫妻は日本語が出来ないのである。 
私は「頼さんから聞いた遠浅の海で、夜景が綺麗な場所を見たい。そこで写真を撮りたいのだが、今日は遅いので、明日の為に下見だけしたい」と言った。 
 
有名な海鮮料理店でカニとエビを食べた。 
 
 
すると、彼は車で1時間ほどの場所の海に連れて行ってくれた。 
もう既に太陽は地平線に隠れてしまっていたが、海に突き出た木道があり撮影が期待できそうだ。 
この夫婦は親譲りの財産があるらしく、日本には何回も来ていてグルメだった。 
 
近くの海鮮料理屋で夕食を食べ、カメラマンの古(Ku)さんの予約してくれたホテルに入る。 
ホテルには古さんと、頼さんの2人の兄達が私を待っていてくれた。 
この日は疲れてしまい、ぐっすり眠れた。 
 
台中で泊まった「Blue Sky Hotel」 
お洒落なデザイナーズ・ホテルは古さんが予約してくれた。 
入口を入るとロビーの壁に古いトランクが天井まで積み上げられている。 
 
(天候・・・曇り・小雨  気温・・・26度) 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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