■台湾紀行(3)・・・・台中市内
台湾の3日目は台中のホテルで、午前5時に目が覚めた。
いつもの日本の習慣と同じだ。
部屋でNHK国際放送で日本のニュースを見てから、散歩に出る。
台中公園では年寄りが体操をしている。この公園も日本が作ったので、池を渡る赤色の太鼓橋や、中島にあるお堂が目立つ。
旧台中駅。この正面から入り左手の新台中駅に行く。
ホテルを挟んで反対側に歩くと台中駅があるので、そこにも行ってみた。ホームレスの溜り場なのか、大勢のホームレスが寝ている。
この駅舎も日本時代の遺産であり、観光案内書には必ず登場する美しい建物である。東京駅を小さくしたような作りで、ミニ東京駅のように見える。
「實覚禅寺」・・・巨大な仏像が目印。日本人の遺骨を安置してある。
ホテルに戻って朝食を済ませて台湾のテレビで天気予報を見ていたら、 7時36分に地震が起きた。日本から来た私は特に驚かない。
台湾は日本と同じく地震国で、1935年と1991年の台湾中部大地震にも日本時代の建築物は耐えている。これは台中の人達も驚いていた。
日本時代の刑務所の中にある武道館は、現在も武道のメッカである。
午前中は古さんの車で、台中市内の日本時代の建物を見て廻る。
同行者は日本から一緒に来た頼俊蒼さんと、2人の兄の子文さんと伸峰さんが参加した。
旧市街地には日本人町があったので、今も使われている日本時代の建物は多い。午後から台中市から1時間ほど北西部の清水市に行く。
ここは日本人が多く住んでいた町なので、日本時代の建物が多く残っている。
日本時代の清水小学校の教員宿舎が保存されている。
当時の小学校が今も使われていて、奥に教員宿舎が保存されている。
全くの日本家屋で、台湾にいることさえ忘れてしまう。
校長先生の宿舎は一般教員の家より大きく、立派である。
見学に来ている台湾人もいるが、彼等はこの建物をどう思っているのだろうか?
清水神社は現在は狛犬だけが残されている。
次に旧清水神社に行く。
こちらは残念ながら建物は無く、狛犬だけが残っている。近くに灯篭も保存されていたので、いずれ修復されて記念に残されるのだろう。
近くに1932年の大地震の慰霊塔があったので見てみたら、日本人の名前もあった。また台湾人に嫁いだ日本人女性の名前も見えた。
みんな丁重に葬られている。
高美湿地は遠浅で、観光客が海に入って写真を撮っている。
夕陽撮影の時間が迫って来たので、高美湿原に向かう。
湿原と言われているが、遠浅の海である。
陸地から海に向かって1キロほどの木道が作られていて、観光客が大勢来ている。
しかし強風の為に立っていることも難しく、観光客のサンダル、帽子、眼鏡などが湿地に落ちてしまっているが拾えない。あまりの強風と寒さで、撮影は早々に切り上げる。
この日はあいにくの立っていられないほどの強風で、日没の時は「鏡の水面に映る夕陽と人」という絶景には出会えなかった。
(おまけの話)
清水市に行く前の昼ご飯は台中市にある、昔の市役所跡にある「911 Cafe」という名の食堂で食べた。
店内の壁に飾られたプレートに、「明治44年」と書かれている。
ここにも、今でも日本が生きている。日本を売り物にすると、商売が繁盛するらしい。建物は昔のままだが、室内は改装されて現代風になっている。
元台中区役所。中は見学出来る。
1階にはお洒落な「Cafe 1911」がある。
1911年は明治44年なので、この名が付けられた。
メニューは日式である。
日式というのは「日本風」という感覚で、必ずしも日本そのものではないところがミソだ。
「日本そのもの」の場合は「日的」と言うが、それでも怪しいと思った方が良い。
私は「本日のランチ」を頼んだら、焼きサバ定食が出て来た。
古さんは「親子丼」を頼んだのだが、丼の上に鳥の唐揚げが乗り、中心に春雨と卵がとじて出て来たのでビックリした。
これが「日式」の正体である。
「猫のマンゴーかき氷」。 氷が日本のものと違い、ミルフィーユ状になっているところが美味しさの秘密のようだ。量が多いので、2人で分けて食べた。
デザートにマンゴー・スノーアイス(600円)を頼んだ。
出て来たかき氷は丼くらいの大きさで、山盛りの上になぜか猫の顔がチョコレートなどでデザインされている。添え物に煮小豆、抹茶味のカステラ風、そしてタピオカが付いて来た。
煮小豆と抹茶カステラは美味しくなかったが、マンゴー・スノーアイスは絶品である。日本のかき氷と違い、マンゴーのジュースを凍らせた後に削るのである。
後日、1人でまた食べに行ったほどである。
旧市役所の向かい側にある旧台中州庁。館内を見学出来る。
旧日本時代の公共建物の前には、必ずと言っていいほどヤシの木が植えられている。
(天候・・・曇り 気温・・・28度)