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[2018.11.23]
■秋の東京を徘徊する  
東京の秋は銀杏の紅葉から始まる。 
銀杏は街路樹として使われることが多いので、東京でもアチコチで見られる。東京の銀杏の有名な場所は、なんといっても明治神宮外苑だろう。 
ここの銀杏並木の紅葉は、必ずテレビで放映される。 
 
光が丘公園の銀杏並木。(11月10日) 


次が郊外の立川の昭和記念公園の銀杏並木である。 
ここへは小金井に住んでいた頃は四季を通して良く撮影に行ったが、今は遠いので行かなくなった。 
私の家から近いのが、東京駅丸の内口から皇居に向かう途中の、和田倉門の銀杏並木である。ここは例年は神宮外苑前より、かなり早く紅葉が見られる。 
 
「光が丘公園」。もうそろそろ銀杏も終りのようだ。 
 
 
次は光が丘公園の銀杏の紅葉である。 
しかし私は今までに一度も行ったことが無い。 
光が丘は練馬区にあり大江戸線の西の終点駅で、東京で最大の光が丘団地がある。 
 
この団地は1980年代に建設されたので、ご多分に漏れず高齢化が進み次の問題が出ている。 
「光が丘団地は都営住宅など比較的住居費が安いアパートが多く、また都営住宅は基本的に給与によって住居費も変動する」。 
 
和田倉門の紅葉は例年より少し遅い。(11月16日) 
 
 
「息子や娘が社会人になると世帯所得で住居費計算されるため、子供達がその場に留まると高額な住居費になるか、最終的には収入超過で退去の対象となる。だから、社会人となった子供たちは光が丘団地を離れざるを得ない」。 
 
このような事情から、古い団地は外国人(中国人)が住むようになっている。光が丘公園のある場所は戦前は特攻隊の出撃基地の成増飛行場で、戦後は米軍のグランドハイツだった。 
 
銀杏は東京都のマークと思われているが、実はローマ字の「T]をデザインした。 
 
 
話が逸れてしまった。 
銀杏という木は原産が中国で、かなり昔に日本に伝えられたらしいが、それはいつかハッキリしない。 
葉の形が鴨の足に似ているので、「鴨脚」と言う。この発音が鈍って、日本では「イチョウ」になった。 
木には雄と雌があり、雌の期は夏の終りに実を付ける。 
 
焼き芋屋も出ている(明治神宮外苑)11月21日 
 
 
・・・という訳で、都内の銀杏並木を別々の日に3ヶ所、巡って来た。 
先ずは11月10日に、光が丘公園に行った。 
土曜日なので、家族連れで賑わっていた。 
私が考えていたよりは、銀杏並木の迫力に欠けた。 
次に行ったのが、11月16日の皇居・和田倉門の銀杏並木だった。 
 
     人形を持参して撮影する男。 
 
 
ここはお馴染みなので感激は無いが、皇居二重橋に向かう外国人観光客が感激していた。 
最後はやはり、明治神宮外苑の並木道である。11月21日に行った。 
ここは何度来ても、感激する。人出が多いのが難点だが、みんなその素晴らしい光景を堪能しようとしているのだから、文句は言えない。 
銀杏が終ると、次はモミジである。 
 
神宮外苑はポルシェが似合う。 
 
(おまけの話) 
私はJRで家に帰る時は、東京駅から都バスに乗る。 
そんな時は丸の内で開催されているイベントを事前に調べておいて、覗くのが習慣となっている。 
東京会館を含む3棟が建て直されて「二重橋スクエア」となり、11月8日にオープンした。私は好奇心から、9日に行ってみた。 
まだ商業エリアだけのオープンだったが、大混雑だった。 
 
二重橋スクエア地下1階のレストラン街には、テレビクルーも来ていた。 
 
 
テレビ局も来ていて、取材をしている。 
昼時だったのでランチを目指して、近所のOL、サラリーマンで大混雑だった。とても店に入れないので、ランチは諦めて近くの「丸の内オアゾ」に行った。 
 
オアゾとは、エスペラント語でオアシスだそうだ。マンションの友人からの知らせで、ここにピカソの「ゲルニカ」を陶板で作った複製画が飾られていると聞いていた。 
 
ピカソの「ゲルニカ」の陶板複製作品。(永遠に劣化しない) 
 
 
オアゾの1階にそれ「ゲルニカ」はあった。 
陶板の複製画はしばらく前に、私は四国・徳島県の大塚国際美術館で見たことがある。 
この美術館は大塚薬品が自社技術を使って、世界の名画を陶板で複製していて、とても良く出来ていた。 
 
オロナミンC,ポカリスエットなど数多くのヒットで財を成した創業者が、故郷へ錦を飾った代表例である。 
使い切れない金を儲けた人は、こうあって欲しい。 
 
気が早く11月16日にはクリスマス・ツリーが飾ってあった。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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