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[2006.09.01]
■考古学では私の方が先輩だ
伊達市にはユニークな人が居る。  
噴火湾文化研究所の所長のOさんだ。彼は昨年、私達が東京に戻る前にコテージに現れて、『心の伊達市民』の制度化に付いて熱心に語っていた。そのお陰で私は『心の伊達市民・第1号』となったのだ。  
 



彼の本職は考古学である。考古学者には暗い人が多い中でOさんはものすごく明るい。エジプト考古学者の吉村教授と双璧である。  
ある人が『ゴッドハンド』などと言われてその気になり、遺跡の捏造が行われ、その時以来、考古学には逆風が吹いている。Oさんはアイディアマンで、発掘現場をインターネットで公開している。  
ある日の夜の会合でOさんは伊達市の有名な遺跡『北黄金貝塚』に付いて私にレクチャーをしたいと言った。彼の考古学会での名声は高く、有珠モシリ遺跡の発掘は教科書にも出ているほどだ。  
 
北黄金貝塚遺跡は公園にもなっていて、多くの小学生達が毎年現場学習にやってくる。遺跡はできるだけ分りやすく、また昔の状況の再現に務めている。Oさんは縄文時代の人々の暮らしが貝塚遺跡から判るという。  
貝塚は縄文人が貝を食べた後の貝殻の捨て場だと思っていたが、どうも違うようだ。縄文人は意外なほどの高度な精神生活を送っていたようで、貝塚の下にはお墓がある。ここはゴミ捨て場ではなく、全ての物は土に返り、精神はあの世の行くという考えから来ているそうだ。そしてまた現世に戻ってくるのだそうだ。だから貝塚は神聖な場所なのだそうだ。  
 
2時間にもわたる縄文文化の解説は、久し振りに学生時代に戻ったような気持ちになった。しかも期末試験も無いので忘れても安心だ。  
 
 
 
写真は貝塚の再現である。この下に本物の貝塚がある。見学者に判るように貝塚を再現したが、今はこの辺では獲れないハマグリを撒くためにスカイラークと市内のイタリアン・レストランの『ビーノ』からスパゲッティ・ボンゴレに使った後の貝殻をもらったそうだ。  
 
(おまけの話)  
Oさんと話していて意外なことが判った。私は中学時代にクラブ活動として文科系は考古学部、体育系は水泳部であった。  
考古学部の課外学習として、静岡県の登呂遺跡の発掘をお手伝いしたことがあるとOさんに話したら驚かれた。  
登呂遺跡発掘は日本の考古学の最初のイベントで、そこから日本の考古学は発展して行ったのだそうだ。Oさんはその時にはまだ6歳だったそうで、そうなると、私は考古学では大先輩となると判り、それ以来、私はOさんに対して先輩風を吹かせているのだ。Oさんは言う。『橋本さんのその素晴らしい考古学の経歴は使っていないのだから、私にくれ』  
 
伊達市・桜の家から 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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