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[2019.05.15]
■夢の島の第五福竜丸 
新聞で「夢の島」で第五福竜丸の展示が再開されたと知った。 
「夢の島」とは恥ずかしげもなく、ずいぶんと図々しい名前を付けたものである。 
この島は東京湾に浮かんでいる人工島で色々な過去を持っているが、私の知っているのは「ゴミの埋立地」である。 
 
東京湾の埋め立て地の地図。 
(赤マークの左端の豊海運動公園のすぐ近くが私の住むマンション) 


東京湾は過去から現在まで、海を埋め立て続けて土地を作り出している歴史がある。 
私の住む「勝どき」、「月島」、「晴海」も埋立地で、湾岸地区は全てが埋立地であるのは地図を見ると良く分かる。 
 
土地の形が四角いのである。 
東京オリンピックの選手村を建設している場所も、もちろん以前に埋立てられた土地である。(晴海ふ頭) 
 
「都立・第五福竜丸展示館」の入口。 
 
 
夢に島には「第五福竜丸展示館」というものがあるらしい。 
「第五福竜丸事件」と言って分かる人は、もう少なくなってしまっていると思うので説明する。 
 
【第五福竜丸は 1954 年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船である。】 
 
入口を入るとこの光景だ。     第五福竜丸の錨。 
 
 
【その時、第五福竜丸は爆心地から160キロ東方の海上で操業中で、乗組員23名は水爆実験のことも知らないし、また空から降って来たのが「死の灰」とも知らず無邪気に灰を浴びて被ばくしてしまったのである】。 
 
【第五福竜丸は放射能が減るのを待って東京水産大学の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となったが、その後、廃船となり夢の島に展示されている】。 
 
地下鉄「築地市場駅」の入り口の近くにある「原爆マグロ」の説明版。 
「築地市場に入荷した2トンの原爆マグロが埋めてある」と、説明している。 
 
 
天気の良い日を狙って、私は「第五福竜丸」を見に行った。 
見に行った理由は私が小学校の6年生の3月に、このニュースに触れて驚いたからである。私はその時、初めて水爆というものを知った。 
そして原爆の何十倍も破壊力があると聞いた。 
 
またもう1つの理由は、第五福竜丸が獲って帰った放射能に汚染された原爆マグロは、なんと築地市場の地下に埋められたのである。 
そして現在も、そのままになっている。 
 
展示館の一番奥が船首側。 
 
 
我が家から夢の島までは地下鉄を使って、30分くらいで行ける。 
夢の島の中に「都立・第五福竜丸展示館」がある。 
新木場駅で進行方向の左側に出ると、湾岸道路が上を通っている。 
そこを潜ると大きな公園があり、そこが「夢の島公園」で、その一番奥に 【第五福竜丸展示館」があった。 
 
海水の「吸い込み口」だろうか? 
 
 
中に入ると、見物客は先客の2人だけだった。入口の目の前にドーンと、大きな木造船の第五福竜丸が据え付けられている。 
船体はもうボロボロで、例えは悪いが「枯れた老人」という感じがした。 
 
20分ほど館内を見学したが、展示パネルで私の子供の頃の福竜丸事件が蘇って来た。 
あれから55年も経つのに、「人間って進歩していないなー」と感じながら展示館を出たのである。 
 
「第五福竜丸のエンジン」の展示は館外に。 
 
 
(おまけの話) 
夢の島には私は初めて行ったが、現役の時の仕事では少し関係があった。昔は都内の家庭から出るゴミはトラックで運ばれて、夢の島の埋め立てに使われていた。そのトラックは必ず江東区を通過して夢の島まで運ばれるので、江東区民は怒っていた。 
 
家庭から出るゴミでも地区の収集場所となった家からはクレームが付き、かなり前から個別収集となったくらいだから、誰でもゴミは出すのにみんなに嫌われる。 
 
館内で3Dで復元映像が見られる。(船内の様子もテレビで見られる) 
 
 
知り合いの会社がビルの清掃を仕事にしていて、ある時、「ゴミを圧縮できないか?」と相談された。私の会社の油圧技術を使えば、そんなに難しくないと分かり試作をした。 
 
生ゴミだけだと上手く行かない。雑居ビルだと事務所から大量の紙類が出るので、これを混ぜると生ゴミの水分を吸収して上手く行った。 
その機械はゴミを小さくするので「コンパクター」と名付けた。 
 
船体は木造なので、ボロボロである。 
 
 
私の会社は機械を作って納入するだけだが、その会社はボロ儲けをした。その頃は夢の島でのゴミの受け入れ料金は「トラック1台分でXX円」という契約だったので、コンパクターで圧縮してトラックに積み込むと、それまでのトラック5台分が1台で済んでしまうのである。 
 
「受け入れ料金」、「トラック運送費用」の両方が5分の1になったら会社は儲かるはずだ。 
しばらくして東京都もこれに気が付いて、その後は重量制となってしまってメリットは消えてしまった。 
 
第五福竜丸のスクリュー部分。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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