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[2019.07.01]
■ベトナムへ行く(6)・・・・KAIZEN日本語学校
(6月17日) 
 
朝8時30分にホテルに、M女史が会社の車で私を迎えに来た。 
今日は私だけがKAIZEN日本語学校に行き、日本行きが決まった生徒達に日本のことに付いて話をすることになっている。 
私は6年前に3ヵ月間滞在して、毎日学校に行って授業を行ったことを思い出した。 
 
KAIZEN日本語学校本校(全国に分校が6ヶ所ある) 


その頃は生徒数は1500人だったが、現在は4000人だそうだ。 
先生もその分増えて、100人を越えている。 
1クラスは30人ほどの生徒数である。 
 
今も退職せずに残っている、私の知っている先生は12~3人くらいだろうと思う。先ずはESUHAIの事務所に行きソン社長や幹部たちに挨拶して、会議室で記念撮影をする。 
 
職員室(2ヶ所にある) 
 
 
最初の私の授業(90分)は10時の教室で、ベトナム人の若い女性教師が15分の授業を行い、その後に私に代った。最近は日本企業から実習生の採用が増え、以前より短時間の日本語の勉強で日本に行くようだ。 
 
その時の私の話が、彼らの語彙不足で理解出来ないようだ。 
そこで遊びを入れて、授業を盛り上げるように方針変更をした。 
 
午前中の授業で。(教育方針に沿い、みんな礼儀正しく元気が良い) 
 
 
それは日本のジャンケンである。 
私が日本から持参した色々な小物を、ジャンケンで勝った生徒にプレゼントするのである。 
 
最初に日本式のジャンケンのやり方を教える。 
ベトナムにも呼び方は違うがジャンケンはあり、日本と同じグー・チョキ・パーがある。 
 
私を囲んで全員で記念撮影。 
 
 
私が「最初はグーと言って全員がグーを出す。次に本番のジャンケンポンで勝負する」と教え1回目の練習をする。「最初はグー」と言ったら、クラスの中の数人がパーやチョキを出した。 
 
「違う。全員がグーを出すんだ!」と言って、やり直す。 
もう一度「最初はグー」とやったら、2人がパーを出した。 
呆れた。全く分かっていない。 
 
午後のクラスに通う生徒達。 
(女子学生の運転するバイクの後部座席から撮影) 
 
 
「違うだろ!、最初はみんなでグーを出すんだ!」と私が言ったら、周りの生徒が分かっていない2人にベトナム語で教えていた。 
やっと全員がジャンケンのやり方を理解して本番となった。 
 
賞品は令和タオル、オリンピックバッジ、アメ、チョコレートなど10種類くらいを用意して、ジャンケンで勝っと大喜びで教室は大いに盛り上がった。 
 
午後授業(教科書にある会話の練習) 
 
 
お昼ご飯は私のお気に入りの店に、生徒5人を連れてバインセオを食べに行った。午後に私は2回の授業があり、同じようにジャンケンで大いに盛り上がった。 
 
最後に質問の時間を設けたら、各教室で同じ質問が出た。 
「地震が起きたら、どうすればいいんですか?」。 
この答えは難しい。 
 
私は「周りの日本人の様子を見ていて、彼らが逃げたら一緒に逃げなさい。」と教えた。 
地震の殆ど無いベトナム人は、東日本大震災のことを知っているからである。 
 
学校の入口には日本では見掛けなくなった「二宮尊徳」の銅像と錦鯉の池がある。 
 
 
(おまけの話) 
午後の授業が終り、私が6年前に親しくしていた先生方を招待して夕食会を開いた。 
夜の授業のある先生、小さな子供のいる先生、どうしても都合のつかない先生を除き9名が参加した。 
 
私の女房と娘も先生方を知っているので、一緒に参加した。 
レストランは代表の先生が選んだらしく、学校から20分ほどのベトナム料理店だった。 
 
レストランで令和の記念品の説明をする。 
 
 
ベトナム人は大勢集まる結婚式やパーティでは、「始めと終り」に締まりがない。そこで今回は私は「日本語学校の先生方が集まったのだから、日本式で行います」と宣言した。 
 
そして私は「皆さんに再会できて嬉しい」、「持参した令和のお土産の説明」、「これからの健康と幸せ」に付いて話をした。 
 
食事会に出席の先生方から高価なベトナム茶を頂く。 
 
 
すると参加の先生を代表して女性の先生のTさんが挨拶に立ち、立派な箱入りのベトナム茶をプレゼントしてくれた。 
箱の表面に紙が貼ってあり、日本語でお礼の言葉が書いてあったが、それが可笑しかった。 
 
「これまでの橋本様のご尽力に心から感謝申し上げます」、そしてその次に「ほんの気持ちではございませんが・・・・」とあった。 
自分の英語能力から考えると、ベトナム人を笑っている場合じゃない。 
私の英語はもっと下手だ。 
 
ベトナム茶の箱の上に貼ってあった「感謝の言葉」。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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