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[2009.01.15]
■2度あることは3度あった
引退して年賀状が減ったとはいえ、何通かは来る。 
その中にどういう理由か分からないが、弁護士からは3通も来た。私が死ぬとでも思っているのだろうか? 
 
殆どが友人からだが、珍しい人からも1年に1回だけ年賀状で連絡が来る。 
それは現役の時の取引先だった会社の社長だった人からである。『社長だった』というのには意味がある。 
その人は名古屋の人でXさんという。 


Xさんは機械商社を経営していたが、バブル期の少し前に株式投資で失敗して会社が倒産した。 
当社も被害を被ったが、納入先は東京のY社に引き継がれた。 
 
Yさんはバブル期に隣接地を後から思えば法外な値段で買い取り、そこにビルを建てた。そしてバブルの崩壊と共に倒産した。当社はまた被害を被った。 
 
Yさんの会社の納入先は、今度は東京のZ社に引き継がれた。Zさんの会社もその後、放漫経営で倒産した。 
またまた当社は被害を被った。 
 
その時に私は『2度あることは3度あるのだなー』と実体験で納得した。3社から不渡り手形を掴まされたが、その額は伊達なら新築の家が3軒買える。 
でも、私は腹は立ったがXさんも、Yさんも、Zさんも恨んではいない。その会社と取引すると決めたのは、他ならぬ私なのだから・・・。 
 
この3つの会社の社長には共通点がある。 
3人ともある大手メーカーの全国代理店会の会長経験者であった。それ以来、『会長をやると、会社が倒産する』という噂が広がった。 
3社目のZ社が倒産したことも引き金になり、私は会社を売却して引退した。 
今になって思えば、あの倒産に感謝している。 
私が引退するキッカケの1つを作ってくれたのだから・・・。 
 
(おまけの話) 
Xさんから年賀状が来たので、Yさんのことを思い出して年賀のメールを送信した。7年も会っていないので、メールが繋がるかどうか心配だった。 
そうしたら、『久し振りに会いたいので、お宅に伺う』と返信が来た。 
そこで、1月12日の午前11時に私がYさんを駅に迎えに行った。 
 
駅周辺の工事 
 
このところ、駅の南側は再開発で大工事が行われている。 
そこでは小金井で一番高いビルであるマンションが建設されている。静かだった私の町もドンドンと変わって行く。 
 
Yさんは私より6歳も上なのに思ったより若く、顔のシミが少し増えたくらいで、あのバイタリティは変わらない。 
今の生活は切手の収集管理とロータリー・クラブの活動と孫の世話だそうである。 
Yさんの切手収集は凄い。韓国切手に関しては、彼は日本の第一人者である。 
引退後にやることを持っている人は輝いている。 
 
お互いに共通する話題は昔話と入院手術の話である。 
可笑しなことに、7年振りくらいに会ったので昔話も新鮮に感じることである。 
現役時代の仕事関連の人達の話はどうもピンと来ないので、あまりしない。 
まだお互いに景気の良い時期に、タイのチェンマイに2人で植林の下調べに行ったのは、良い思い出である。 
 
帰って行くYさん 
 
2時間半の楽しいひと時を過ごしてYさんは帰って行った。 
驚いたのは、病気見舞いのお金をもらってしまったことである。 
今までにメールでお見舞いは沢山もらったが、実際に家に来た人も少ない。しかも、お見舞金を持って来た人は初めてだ。 
 
本人が病人と思っていないので、地元の人はお見舞いにも来ないのである。 
それとも、彼らは私の出す放射線を恐れて来ないのかもしれない。 
でも、21日には伊達からTさんが、26日にはFさんが我が家に来るという連絡が入っているので、彼らに会うのが楽しみである。 
『Tさん、Fさん、私の出す放射線は大丈夫ですよー』。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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