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[2019.11.15]
■平成は遠くになりにけり
 
六本木には時々、行くことがある。 
国立新美術館、六本木ヒルズ、ミッドタウン東京、おつな寿司、幸楽苑などが良く行く場所だ。 
 
夜の六本木にはイルミネーションの撮影以外は行かない。 
もう今の私には、夜の六本木は関係ない場所だからである。 
 
六本木交差点 


子供の頃には親戚が赤坂に住んでいたので、たまに遊びに行った。 
亡くなった母は六本木ヒルズの少し先で生まれ育ったそうだが、その頃の六本木は何も無かったそうだ。 
 
私も子供の頃から今までも色々と思い出があるので、今回は懐かしく感じながら六本木から東京タワーの足元の赤羽橋まで歩いてみた。 
 
神戸牛専門店「瀬里奈本店」 
 
 
スタート地点は六本木交差点の角で、今は賃貸ビルとなっている場所には大きな本屋「誠志堂」があった。 
交差点から外苑東通りで南を見ると、正面に東京タワーが見える。 
 
そちらに向かって歩いて行くと、すぐの路地を左に入ったところに高級店の神戸牛の「瀬里奈」がある。現役の時は行ったことがあるが、今は縁が無くなった。 
 
外苑東通りから見える東京タワー。 
 
 
更に進むとその先には1950年に開店したハンバーガー屋の「ザ・ハンバーガー・イン」があった。ここで生まれて初めてハンバーガーというものを食べたが、その店に行くと「アメリカ」そのものだった。でも残念ながら2005年に閉店となった。 
 
そこから少し離れた場所にピザを初めて日本に紹介した「ニコラス」もあった。私の贔屓の店だったが、ここも2018年に閉店となってしまった。 
 
「ザ・ハンバーガー・イン」の跡地。 
 
 
飯倉交差点の手前の右側はロシア大使館である。ここはいつも警察官が厳重な警備をしているのですぐ分る。飯倉の交差点で桜田通りに出る。 
ここで少し寄り道をして東京タワー通りに入る。 
 
すると左側にロシア料理店の「ヴォルガ」がある。ここで学生時代に、初めて「ボルシチ」と「ピロシキ」を食べたのを思い出す。 
そのボルガも閉店となったしまい、今はマンションとなっていた。 
 
ロシア大使館とロシア人親子。 
 
 
元の道に戻り桜田通りを下ると右側に機械商社の「山善」があり、こことは大きな取引をしていた。しかし今回の散歩では、山善もどこかに引っ越してしまっていた。 
 
その先の坂を下り切った右側に、私のお気に入りのうなぎの「野田岩本店」がある。ここは蔵造りの店で、食事をするなら4人以上で予約して3階で食べたい。 
 
飯倉交差点から三田方面を見る。 
 
 
そして左に東京タワーを見ながら、更に少し歩くと赤羽橋である。 
ここには不動産バブルで名を成した後に倒産した「麻布建物」があった。 
 
更に進めば三田で、慶応技術大学からJR山手線の新駅の変な名前の「高輪ゲートウェイ」がある。 
 
懐かしの六本木から外苑東通りを歩いたが、時代が移り無くなってしまった店や会社が多く、「平成は遠くになりにけり」と感じた散歩であった。 
 
ロシア料理店「ヴォルガ」の跡にはオフィスビルが。 
 
 
(おまけの話) 
六本木に行ったのには理由がある。 
私の中学・高校時代を通じての友人のMさんと、六本木のアマンド前で待ち合わせをしたのである。「アマンド前」というのはMさんの指定だったが、それがなんだか「田舎者」という感じで恥ずかしかった。 
 
「山善」のあったビルは建て替えられていた。 
 
 
Mさんは不動産関係の会社を経営していたが、10年ほど前に会社を整理して引退した。それは社長を辞めた私のアドバイスが関係している。 
 
私は今までにプラスチック加工業Xさん、自動車販売業のYさん、クリーニング業のZさん、そして今回のMさんと4人も社長を辞めるようにアドバイスして、彼らは4人とも社長を辞めた。 
それが良かったかどうかは、私には分からない。 
 
細長いうなぎの「野田岩本店」ビル。 
 
 
しかしMさんは不動産の特殊免許を持ち、また能力もあるので、今も六本木にある不動産関連会社で顧問として働いている。Mさんとは2年ぶりに会うことになった。 
 
待ち合せ時間になると彼はいつものように、ロングコートとソフト帽で現れた。彼ほどソフト帽が似合う男はいない。 
羨ましくて2年前に私もソフト帽を買ったが、残念ながら丸顔の私には似合わなかった。 
 
「赤羽橋」から東京タワーを見る。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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