■伊達から初の見舞客
イコロ農園のTさんからメールが来た。 『1月18日に上京するので、21日にお見舞いに行く』ということだった。
Tさんとは毎日のようにメールの交換があるので、久し振りのような気がしない。でも、考えてみたら、10月11日に私が伊達を去ったので3ヵ月ぶりになる。
我が家にやって来たTさん夫妻は冬の間は農作業が無いのでエネルギーが余ってしまい、かなり太ったようだ。
お昼ご飯にはイコロ米と女房の得意料理の『海の幸のかき揚げ』を用意した。
Tさん夫妻と昼食
そのかき揚げには最近、黎明館から届いた伊達産のホタテ貝が入っている。
また、我が家の庭で採れた春を知らせる『ふきのとう』も天麩羅になって出て来た。
暫く会っていない遠くの友人とは積もる話もしたい。
ところがインターネットの発達で、毎日のように伊達の友人達からメールが来る。だから東京に居ながらにして伊達のことに通じてしまうという状況が起きる。
そんなことで積もる話が無い私達は、結局はTさんの東京滞在記を聞くことになる。
今回の滞在で歌舞伎座に行った話や、銀座の流行りのレストランの話などである。
歌舞伎座立見席
東京在住の私達が伊達の人に東京の情報を教えてもらい、東京の私が伊達在住の人に伊達情報を教えるというなんとも不思議なことが起きる世の中となってしまった。
帰りには我が家の庭で採れた柚子をお土産に持って帰ってもらった。都会から来た息子夫婦に田舎の農産物をお土産に持たすというような感じになった。
自分でも可笑しいと思う。
こんなことで良いのだろうか?
『それでいいのだ!』と伊達で言っているTさんの顔が目に浮かぶ。
(おまけの話)
元気な私を見ると、誰でもお見舞いの目的を忘れてしまう。そこで私は病人である証拠を見せなければならない羽目となる。
それが2つの容器である。
1つ目はトイレに置いてあるコップと取っ手の付いた濾し網である。
私がトイレに行った時に、埋め込んだヨウ素125が小便と一緒に出てしまったかどうかを確認する為に、1階のトイレにプラスチックのコップが用意されている。
もし出ているのが確認されたら、その濾し網で掬うのである。我が家のトイレに行った人はみんな変な物が置いてあるのに驚く。
2つ目は、もしヨウ素125が出ていたら、それを病院に持参する為の小さな容器だ。
外回りはプラスチックで出来ているが、中には一面に鉛が張ってある。
2年間くらいは放射線を出し続けているので、それをその容器に入れて病院に持参しなければならないと法律で決められている。
珍しい物を見せてもらい、みんな納得である。
でも、珍しい物を見たということが印象に残ってしまい、またお見舞いに来たことを忘れてしまうのである。