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[2019.12.18]
■「未来世紀ジパング」に登場
(2015年12月09日) 
 
パリのテロ事件により放送が延期となっていた「未来世紀ジパング」の放送が、やっと12月7日になり放送となった。 
番組のサブタイトルは「池上彰が行く、アジア沸騰街道900キロ」である。 
 
テレビ番組「未来世紀ジパング」より。 


番組では私が顧問をしている会社「ESUHAI」が経営している、ベトナム・ホーチミン市の日本語学校「KAIZEN日本語学校」が登場した。 
 
番組は午後10時から1時間半の放送だったが、KAIZEN日本語学校が出て来たのはたったの3~4分だった。まあ、テレビというのは、編集したらそんなものだろう。 
 
日本語学校の場面では懐かしい先生方が大勢出て来る。 
「みんな元気にやっているな」と安心する。 
 
ホーチミン市の朝の公園。 
 
 
私がホーチミン市にいたのは、2年半前のことだが、今ではもうズーと昔のことのような気がする。この番組を見た年配の日本人は、昔の日本を見ているように感じたはずである。 
 
「あの頃は良かった」、「先生が尊敬されていた」、「若者の目が輝いていた」など自分の若い頃を見ているようだ。 
 
ベトナム戦争の時のピュリツァー賞受賞の写真。 
 
 
今は日本のどこの学校でも見なくなった、二宮金次郎の像を飾ってある学校がベトナムにあることに驚いた人が多かったと思う。 
 
二宮金次郎はかなり前に日教組の言い掛かりか(?)、「本を読むか、薪を運ぶか、どちらかにしろ!」という変な理屈で学校から追放されてしまった。 
 
KAIZEN日本語学校の出迎え。  
 
 
私がホーチミン市の学校で日本語を教えた女生徒が愛媛県に実習生として来ていて、今年の暮れに我が家にやって来る。 
また、正月には兵庫県に来ている実習生の女性が我が家にやって来る。 
 
2人ともベトナムに持ち帰れば10倍くらいの値打ちのある貴重な日本円を倹約するために、夜行バスで東京まで来る。 
 
二宮金次郎像を飾っているKAIZEN日本語学校。 
 
 
私は早朝に東京駅まで迎えに行かなければならないが、それもまた私の喜びだ。この年になって、親戚でもない若い女性に頼られるのは悪い気はしない。 
 
来年の2月には実習生として3年間働いて帰国した女性が、どうしてもまた日本へ来たいと思い、今度は留学生として札幌にやって来る。 
 
授業風景。 教室では生徒は立って授業を受ける。 
 
 
私がホーチミン市にいた当時の日本語学校の先生が3人、留学生として名古屋市に来ている。 
 
ベトナム人はみんな日本が大好きだし、憧れている。 
彼ら、彼女らが日本で色々な経験をしてベトナムに帰り、それを生かして人生で成功してくれるのが私の残りの人生で最大の希望である。 
 
彼女達を見ていると、私がニューヨークに働きに行った22歳の頃と重ねてしまう。叶わぬ夢であるが、もう一度、あの頃に戻りたいものである。  
 
ESUHAI社のレ・ロン・ソン社長と池上彰氏が対談。 
 
 
下記のブルー部分をクリックして、驚いて下さい。  
【ホーチミン市の驚きの交通事情】  
 
(おまけの話) 
ベトナムとは関係の無い話である。 
12月になると、毎週土曜日にお台場で花火大会がある。 
 
昨年はお台場に行って撮影したが、今年は対岸の我が家の近くの豊海埠頭で撮影することにして、マンションのデジカメクラブの企画とした。 
 
お台場の反対側の豊海埠頭から撮影。 
 
 
我が家から歩いて数分の埠頭からレインボー・ブリッジが目の前に見える。私の予想では、橋の左側の橋脚の辺りに花火が上がるはずである。 
 
屋形船も大挙してやって来ている。 
午後7時になり、快晴の空に花火が打ち上げられた。 
 
レインボーブリッジもイルミネーションで美しい。 
 
 
準備はしていたが距離感と正確な方角が分からず、シャッターを押して撮影画像を見てから条件を修正をする。私のカメラは高級品ではないので、画像の取り込みに少し時間が掛かる。 
 
映像を確認して再度、撮影する前に、花火はアッという間に終ってしまった。でも、この花火大会は予算の関係からか、「たったの10分間だけ」だったのである。 
 
最近の花火は趣向を凝らしたものが増えて来た。 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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