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[2020.01.27]
■今年の春節は怖い
 
今年も春節がやって来た。そして中国人が大挙してやって来る。 
春節は日本の旧正月のことで、日本でも1872年までは旧暦を使っていたから、その時までは旧正月を祝っていた。 
 
日本人は割合に頭の切り替えが早いので、すぐに新正月に馴染んだようだ。 
 
銀座通りに観光バスが停まる。すると中国人団体が降りて来る。 
いつもの見慣れた光景である。 


「日本はいつから?」、また「なぜ旧正月を止めたのか?」に興味を持ち調べてみた。すると以下のようなことが分かった。 
 
「元々日本も明治維新の前までは旧暦を使い、旧正月を祝っていた。1872年12月3日に西洋暦である新暦に変った。暮れになってバタバタと決めた理由はハッキリしていない」 
 
「ユニクロ」の前を通る全ての中国人は必ず店に入る。 
 
 
しかし勘ぐれば「旧暦のままだと1873年は閏年で13ヵ月あるため、政府は年13回も給与を支給するのは財政的に厳しかった」と言われている。 
 
最近の私は暇人という理由が大きいが、なにか疑問に思うと調べたくなる。これが変な方向に行くと、ストーカーになるので注意をしている。 
 
中国人御用達のカバン屋。この5500円のキャリーバッグが飛ぶように売れる。(多分、made in China だと思うが・・・) 
 
 
ことしの春節は大きな問題がある。 
それは中国の武漢で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が急速に広がり、春節の1月26日現在で「死者56名、患者数は2000人以上」になったようだ。 
 
でもこの数字は当てにならない。もっと多いのではないか? 
 
停車した観光バスから降りる中国人団体。向こうからも団体がやって来る。 
 
 
武漢以外でも患者は発生しているし、日本でも武漢からの4名の患者が出た。遂に武漢は外部への交通遮断という強硬策を取り、外部への拡散を抑えようとしている。 
 
でも、その前に武漢を出た中国人が大挙して、日本に観光旅行で来ているから、彼らが罹患していないとは断言できない。 
 
中国人女性は赤いものを身に付けて、外股で歩くのですぐ分る。 
 
 
そこで「何でも見てやろう」の私は、春節で銀座に来ている中国人観光客を遠くから見ることにした。近付いて肺炎を移されては困るからだ。 
 
この年になると新型コロナウイルスに取り付かれたら、私ではもう抵抗できず終りだ。そこで中国人からは最低でも10メートルは離れて、遠くから彼らの様子を見ていた。 
 
「GINZA SIX」前まで集合して、バスを待つ中国人団体観光客。 
 
 
春節初日のせいか、或いはまだ銀座に出て来る時間ではないのか、あまり中国人は目立たない。時々、銀座通りに観光バスが停まって、団体客が降りて来る。 
 
ドラッグストアを覗いたら、中国人が大勢いて、マスクを大量に買い込んでいた。街でマスク姿の人達を見るが殆どが日本人で、中国人は「東京は空気が綺麗だなー」と思っているのか、マスクをしないで空気を楽しんでいるようにも見える。 
 
「マツモトキヨシ」では大量のマスクを積み上げて販売していた。 
 
 
(おまけの話) 
日本人には春節は関係無いと思うが、私には少しだけ関係がある。 
それはベトナムの日本語学校のMさんという女性の副校長から、私宛にメールが届いたからである。 
 
そのメールには「こんばんは。昨日のエスハイの忘年会で私は写真を撮影しました。添付の写真をご覧ください❣」とあったからだ。 
 
ベトナムのお正月(2020年1月25日)…写真はMさん提供。 
 
 
1月21日に届いたメールに「忘年会」と書かれていて、私は少し驚いた。日本で忘年会と言えば、12月に決っているからだ。 
ベトナムでは日本と違い旧正月を祝い、それを「テト」と言う。 
 
テトは1月25日で、その日を挟んで23日から29日までの1週間が正月休みになる。 
中国の春節は24日で、ベトナムと1日違うのは時差の関係らしい。 
 
仏教徒はお寺に初詣に行く。 
 
 
私の年代では「テト」と聞けば、「テト休戦」を思い出す。 
ベトナム戦争では南北ベトナムが戦ったが、それでも「お正月は戦争を休もう」という協定が南北で出来て休戦をしたのを覚えている。この辺りが南国風で面白い。 
 
ベトナム人は日本人に似て、普段はあまり宗教に関係無い生活をしている。だからテトも単なる正月休みと考えている人が多いのである。 
 
お正月は緑色の「チマキ」を食べる。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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