■マンネリを楽しむ
最近の私は、いつもマンネリを感じている。
毎日の生活もそうだが、この「むしゃなび」のブログもそうだ。
「マンネリ」をネットで調べてみた。
すると英語の「mannerism」で、その意味は「新鮮味や独創性が無い」ということだ。
今回の写真は1月2日から15日まで、有楽町の「東京フォーラム」地下一階で開催された「平安宮廷スポーツスタジアム」の1/4サイズのジオラマです。
「平安絵巻」のジオラマ。
この年齢で新鮮味のある人なんか、居るはずがない。
独創性に関しては私は思う。いい年のオヤジが独創性なんかあったら、周りが迷惑する。
他人と違うのが独創性だから、ボケ老人などはその代表格だ。
そう考えると、引退オヤジはマンネリでいる方が世間から喜ばれるのではないか?
令和の最初の正月を迎えた時に自覚した。「引退して17年も経ったんだ」。最近の風潮では「人生100年時代」なんて言われている。
私は61歳で引退したので、100歳までには引退後の人生が39年もあることになる。
22歳で大学を出て社会人になったのであるから、61歳までに39年も働いたことになる。
そこで働いた年月と、引退後の年月が同じ39年になる計算で驚いた。
「高御座」
毎朝、寝てりゃいいのに、仕事も無いのに必ず起きる。これもマンネリである。起きなくなったら、そこで終りである。私の母がそうだった。
いつものように自分で朝食を作り、1人で食べる生活を30年以上も続けて来て、これもマンネリとなっている。次にパソコンをチェックする。
新聞を読む。それ以降はやることが無い。
10時を過ぎると、どこかに出掛けて行く。
女房に昼飯の迷惑を掛けないためと、健康維持のためでる。
私が恐れているのは、「寝た切り」と「「ボケ」である。
「徘徊」は身分証を持っていれば、どこの誰かが分かるから家に連絡してもらえる。これは運転免許証を返納した時に、警察から運転経歴証明書をもらったから大丈夫だ。
面白そうなイベントを探す。出先で写真を撮る。帰って来てから写真を整理する。そして「むしゃなび」に投稿すべきかどうか考える。
午後7時になり夕食を食べる。使った食器を台所に運ぶ。
生ごみを収集場所に運ぶ。30分くらいテレビを見る。
ネット情報を見る。9時30分に風呂に入る。11時近くにベッドに入る。本を読む。そして眠くなったら寝る。
この生活には、どこにも生産的なことが無い。
時々、「こんなことでいいのか?」と考える。
日本人は真面目な人が多いから、「なにか世間のお役に立ちたい」と考えている人が多い。
でも今さら世の中のお役に立つような能力も、元気も無い。
そこで結局は何も出来ずに、このマンネリ生活を続けている。
困ったものである。
(おまけの話)
日頃のマンネリを打破すべく、学生時代の友人達を「新宿徘徊の旅」に誘った。発足した当初はこの会は「都心を歩く会」だった。
それが年々、「足が痛い」、「腰が痛い」、「アチラに逝ってしまった」などの理由で2~3前から「都心を歩かない会」に変節してしまった。
菜の花と紅梅。
この会のメンバーは12歳の時からの付き合いなのだから、もう66年にもなる。これぞ「偉大なるマンネリ」であるが、この時には「マンネリは楽しい」と感じられる。
このところ天気が悪く心配していたら、やはり当日は冷たい霙か雪の予報だった。こんな時に高齢者は無理をしてもいけないので、企画は2月に延期にした。
蝋梅は広い公園で、わずか4本しか無かった。
そこで今が見頃の蝋梅を見に、近所の浜離宮恩賜庭園に行った。
目の前の築地大橋を歩いて渡れば、15分で庭園入口に着く。
入口の料金所で蝋梅の咲いている場所を聞いて、そちらに向かう。
正面には菜の花畑、その奥には梅林、右手に行くと蝋梅があった。
冬も楽しめる花が咲き、観光客もあまりいなくて静かでマンネリの心を癒された。
蝋梅は寂しげで、元気が無いように咲いている。