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[2009.02.06]
■伊達から植木の剪定指導
私の家の庭には大きな柿の木が1本だけある。 
その柿の木は毎年、甘い実を付ける。そんな理由で私は秋が楽しみなのである。 
でも、その木は40年も経っているので大きくなり過ぎてしまい、洗濯物を干す時に太陽を遮ってしまうので困っている。 
だから我が家は洗濯物は葉の無い冬は外で干し、それ以外の季節は乾燥機を使うという変な生活をしている。 


そこで、私は遂に思い立った。 
柿の枝を落として、陽が当るようにしよう・・・と。 
でも、無暗に枝を切ってしまうと木が枯れてしまう恐れもある。そこで壮瞥町で果樹園を経営しているIさんにメールで剪定方法を問い合わせた。 
ところが、Iさんは忙しいのか全然返事をくれない。 
 
仕方なくイコロ農園のTさんに頼んで、Iさんのところに行ってもらい聞いてもらった。 
その時に私は我が家の柿の木の写真を撮り、その写真に枝の切る個所を赤線で印を付けて欲しいと頼んだ。 
そしてメールで返信が来たのが、この写真である。 
 
剪定方法指示 
 
あまり寒くない日を選んで、私は剪定作業を始めた。 
アルミの梯子を柿の木に掛けた。 
でも、写真で指定された位置には鋸が届かない。 
 
届かない梯子 
 
危ないと思ったのだが、やるしかない。 
柿の木は折れ易いので登ると危険だと昔から言われている。それでも指定の枝を切る為には登るしかない。 
恐る恐る柿の木に登り、安全を確認しながら鋸で指定の場所を切る。 
 
思っていたより切るのは難しい。そこに携帯電話が鳴った。慌てて出たらバランスを崩して落ちそうになった。 
電話はY君からで、その日の午後の高幡不動のダルマ市の連絡だ。 
 
2時間半の作業で、なんとか教えてもらったような感じになったのではないかと思う。 
かなり疲れたし、次回はもう年齢的に柿の木に登れないだろうと思う。 
これが最後の剪定となると思うが、壮瞥町のIさん『どんなもんでしょう?』 
 
剪定作業終了 
 
切った枝の片付けまでは疲れて出来なかったが、その内にやろう。 
今年の秋にも柿は生るだろうか?。 
責任を取ってね、専門家のIさん。 
 
(おまけの話) 
私が育った子供の頃は広い庭園のある純和風の家に住んでいた。家の中には大きな能舞台もあるというお大尽が作った家であった。元は黒崎伯爵の別荘だったと聞いた。 
庭には大きな池もあるし、竹林もあった。 
 
更に別棟にはビリヤードをする為の洋館が建っていたという豪華版であった。 
庭が広く木が多いので、植木屋の甚さんという親方が弟子を2~3人連れて、定期的に植木の手入れに来ていた。 
 
庭の奥に古井戸があり、それが危険だとオヤジが言って、ある時に甚さんに井戸を埋めるように頼んだ。 
甚さんは茂った熊笹をかき分けて奥に進み、その古井戸を埋めた。 
その時に真っ白な大きな蛇がどこからか出て来た。 
甚さんはその蛇を捕まえて、皮を剥いで焼いて食べてしまった。 
 
暫くしてから、甚さんは多摩川に投網を打ちに行った時に、心臓発作を起こして水に溺れて死んでしまった。 
私のオフクロは『甚さんは我が家の守り神の白蛇を捕まえて食べてしまったので、その祟りで死んだ』と言っていたが、『祟り』って、本当にあるのかなー? 
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▼コメント(1)
名前:Shinji  2009.02.07 02:01:16
甚さんと白蛇という題の”日本の昔話”として通用するおはなしですね。  
 
橋本さんは柿の木から落ちなくて、安心しました。 もうやらないでください。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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