■武漢ウィルス(43)・・・・・・ウィルスと中国
WHOのテドロス事務局長宛のトランプ大統領の書簡が凄い。
「貴方とWHOの度重なる失策が世界に甚大な犠牲をもたらした。WHOが中国からの独立性を示せるかどうか。30日以内に大幅改善がなければ資金拠出を恒久停止し加盟も考え直す」。
これを見て、少しは私の胸の痞えが降りた。
(今回の写真は5月20日の散歩の道順)
地下鉄で九段下駅まで行き、そこから歩いた。
(靖国神社~北の丸公園~和田倉噴水公園~東京駅~銀座/万歩計は11,047歩)

中国は武漢からコロナウィルスが拡散したことを認めたような、認めていないような態度を続けている。もしこれが日本発なら、安倍首相が世界に謝罪しただろう。
私の狭い経験だが、「謝る」という文化は世界にあまり無いように感じる。私の関係した外国人で、謝った人を知らない。
必ずいい加減な言い訳を言う。

私は今までに、中国には4回ほど行ったことがある。
最初は40年くらい前に観光で、その後は仕事の関係で3回行った。
最後に行ったのは20年ほど前だが、東京でお世話になったD社のA部長が上海に転勤になった。その時に私の会社の近所のK社長が「上海の私の工場を見に来ないか?」と誘ってくれたので、上海の両方の会社を訪問したのである。

その頃から中国は、一直線に経済の上り坂を駆け上がって行ったと思う。私が驚いたのは、K社長が案内してくれた彼の知り合いの中国人の会社である。
真新しい大きな工場で、高価な機械が並んでいた。
そこの社長に通訳を通して聞いてみた。
「どんな仕事をしているのですか?」。
その答えにビックリした。「これから探す」。
あの頃から中国というのは、得体の知れぬ国だった。

コロナウィルスに話を戻す。
「なぜ日本はコロナ感染者も、死者も少ないのか?」、これが外国から見た不思議である。外国人は分からないだろうが、私達は分っている。
なにしろ日本人は清潔なのである。
外国でトイレに入って感じるのは、トイレを済ませて出る時に手を洗う人がほとんどいない。日本人はもともと良く手を洗うが、コロナ以降は更に手を洗うようになった。

なにしろ日本ではお寺でも神社でも手水舎があり、お参りの前には必ず手を洗い、口を漱ぐ。日本は水に恵まれているので、このような習慣が出来たのかもしれない。
外国でキリスト教会に行った時に、手を洗ったという経験は無い。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教はみな水の無い砂漠から出た宗教である。

私の学生時代には「日本人は水と安全はタダと思っている」と言われていた。ところが暫く前から、日本人もペットボトルの水を買うようになった。会社はガードマンを雇うし、個人の家庭はセコムと契約する。
コロナウィルスから身を守るためには、セコムでは駄目でワクチンしかない。そのワクチン開発競争が熾烈を極めているが、中国が最初に開発し、それを私が買う羽目にだけはなりたくない。

(おまけの話)
コロナ騒動で、「テレワーキング」とか「リモートワーク」が言われているが、果たしてそれは定着するか?
私は「定着しない」と考えているが、理由はいくつかある。
1、「亭主は元気で留守が良い」と言われて来た日本で、亭主が一日中、家にいたら女房はノイローゼになってしまうし、夫婦喧嘩が絶えなくなり、そして離婚となる。

2、「家の中に亭主の居場所は無い」。
今までは毎朝、会社に出掛けて夜遅く帰って来る亭主に、家に専用の個室は無い。だから仕事をする場所も無い。
会社に行かなければ同僚もいないし、飲み会も無い。
同僚、上司とのコミュニケーションも無く、1人だけの個人企業みたいなものになる。こんな関係をサラリーマンは望んでいるだろうか?

3、「家の経費を会社が負担するか?」。
家で仕事をすれば、会社は事務所が不要となるし、交通費も不要となる。ところがその分、家で仕事をすれば、電気代や通信費が掛かる。
それを給料に上乗せされたら、所得税が掛かってしまう。
スマホが普及し過ぎて、自宅にパソコンやプリンターの無い人が多いと聞いた。このように色々と問題があり、一時の流行りで終るのではないだろうか?

(5月20日ー東京駅で)オリンピックもコロナで延期。