■トルコの軍艦を見学する
(2015年6月10日) 私の住むマンションはツインタワーとなっていて、SEAタワーと MIDタワー に分かれている。 SEAタワーは東京湾方面に面していて、MIDタワーは都心に面している。
晴海ふ頭に着岸しているゲディス号。
マンションの晴海埠頭が見える部屋の友人からメールが届いた。
「晴海ふ頭にトルコの軍艦が着岸していて、一般公開している」。
そこでフォトジャーナリストの私は忙しい合間を縫って、取材に行った。トルコの軍艦の名前は「ゲディス号」といい、エルトゥールル号遭難事件125周年の記念事業に参加の為に来日したようだ。
ゲディス号から、我が家が見える。
月曜日の午前10時だというのに、既に200人くらいの人達が並んで待っている。驚くことに、明らかに現役と思われる若者が3分の1はいる。小さな子供を連れたお母さんも来ている。
何を考えているんだろう?
ゲディス号の機関銃。
トルコと日本は浅からぬ縁がある。
今から125年前の1890年に、日本を親善訪問した軍艦「エルトゥルールル号」が乗員609名を乗せて帰途につく途中の和歌山県沖で台風に遭遇して沈没してしまった。
その時に近くの村の人達が懸命な救助を行い、なけなしの食料を提供して69名の命を救った。
大砲は大きかった。
そして、その後、東京に搬送された69名は明治天皇による手厚い看護を受けた後に、日本政府は彼らをトルコに送り届けたのである。
この事件があったので、トルコの教科書にもこの顛末が載っていて、遠い国なのにトルコは親日的なのだそうだ。
【エルトゥールル号遭難事件】 ←クリック
船内を降りる階段の下には、大砲の弾丸が並べてあった。
1985年のイラン・イラク戦争の時に、イラクのフセイン大統領が「48時間後からイラク上空を飛ぶ飛行機は全て撃ち落す」と宣言した。
しかし、日本政府はいま国会で問題となっている「集団的自衛権」がまだ話題にも上らない時代だったので、全く打つ手が無く、テヘラン在住の日本人は脱出の手段が無く孤立していた。
その時に危険を冒して日本人救出の為に航空機を出してくれたのが、トルコ航空であった。
何か分からないが、色々な計器が並んでいた。
95年前のエルトゥールル号のお礼を、この時にトルコは日本に返したという涙無くしては語れない逸話が日本とトルコの間にあるのである。
最近はすぐお返しを欲しがる人が増えているように感じるが、「100年先に返してもらえるかも」と期待もしないで親切にすることが出来る「そんな私になりたい」。
ゲディス号の後部甲板にはヘリポートがあった。
見学を終ると、簡単なお土産をくれた。
(おまけの話)
トルコと言えば「カッパドキア」が有名であるが、私はトルコには行ったことが無い。私の中のトルコと言えば、「ユセフ・トルコ」である。
この人の名前を知っている人は70歳以上だろうと思う。
彼はプロレスラーで、テレビの黎明期の日本で力道山などと一緒に活躍した。その後、プロレスのレフリーとして、長くテレビ画面で見た覚えがある。
自衛隊の護衛艦「たかなみ」も同時公開していた。
ゲディス号に比べて、立入り禁止区域が多過ぎた。
他には浅学な私なので、日本で有名なトルコ人を知らない。
トルコで他に知っているものを探したら、「ケバブ」があった。
これは正式名は「ドネル・ケバブ」と言うようで、串刺しにした肉を焼いて、それをそぎ落として、その肉をパンのようなものに挟んで、野菜を入れてソースをかけて食べる。
「たかなみ」の船首甲板。 ゲディス号は製造後30年、「たかなみ」は12年。
最近の上野アメ横に行くと、ケバブ店だらけである。
ケバブはトルコだけの料理ではないようで、中東地域一般で別名で食べられている。
だから日本のケバブ店がトルコ人の経営とは限らないようだ。
海外の日本料理店を韓国人や中国人が経営しているのと同じである。
「たかなみ」の対艦ミサイル「SSM-1B」
海上自衛隊の装備はトルコ海軍をはるかに上回っているように感じた。
自衛隊は見学後のお土産は無し。