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[2020.07.23]
■土用丑の日に 
 
7月21日は「土用丑の日」だが、それでも私は外へ出た。 
今回は以前から気になっていた「ある場所」に行ってみた。 
 
その場所であるが、亀戸行きの都バスに乗って両国駅を過ぎると、左手に「横綱公園」という大きな公園が目に入る。 
私は「さすがに大相撲の国技館があるだけに、公園にも横綱と付けている」と、思っていた。 
 
     「横網公園」を入ると、前方に「東京慰霊堂」が見える。 


そしてこの日に「その場所」に行ってみたのである。 
バスを降りると、目の前が「横綱公園」である。 
公園の入口に大きな門扉があり、そこに書かれた文字を見て驚いた。 
 
なんとここは「横綱公園」ではなく、「横網公園」という名前であった。たった1文字の違いだが、「網・あみ」と「綱・つな」を見比べてみれば分かるが、日本人でも間違える。 
 
    右手には「空襲犠牲者を追悼し、平和を祈念する碑」がある。 
 
 
門を入ると正面奥が「東京慰霊堂」で、右手に「東京都復興記念館」がある。東京慰霊堂と東京都復興記念館の間には、お洒落な花壇がある。 
近くに住む親子連れや、ここでお弁当を食べに来たサラリーマンなどがいる。 
 
    「東京慰霊堂」の内部は広い。 
 
 
東京慰霊堂は明治神宮、築地本願寺などを設計した明治から昭和にかけて活躍した建築家の伊東忠太氏の設計である。堂内は式典が行えるように、沢山の椅子が並べられている。 
 
東京慰霊堂は1923年9月1日に起きた関東大震災で亡くなった、5万8000体の遺骨が納められている。 
 
「関東大震災で起きた大火災で、積み重なって焼け死んだ人達」を描いた絵画。 
 
 
この場所は元日本軍の軍服などを製造する「被服廠跡地」だったそうだ。その時の大震災で逃げて来た3万8000人が、ここで火災旋風発生で焼け死んだのである。 
 
それと先の大戦の終盤の1945年3月10日に、アメリカ軍によって行われた無差別な東京大空襲で亡くなった10万5000体の遺骨も納められている。 
 
      「東京大空襲で焼け野原になった東京」(写真) 
 
 
東京都復興記念館は関東大震災と東京大空襲の写真、絵画、遺品などが陳列されている。私以外に見学者はいない。2ヶ所の建物内を見て廻り、かなり気持ちが落ち込んだ。 
 
気を取り直して、大相撲7月場所が開催中の、国技館に行ってみた。 
でも国技館の前が、なにか元気が無い。 
コロナウィルスの影響で、1日当たりの観客の上限は、通常の4分の1となる約2500人なのが影響している。 
 
       両国国技館の「7月場所」の幟の数が少ない。 
 
 
力士の名前が書かれた幟の数が少ない。 
警備員ばかりが目に付く。その時、駅の方から1人の力士が歩いてくるのが目に入った。 
まだ番付も下の方で有名ではないらしく、顔を見ても分からなかった。 
 
次にタクシーが停まり、2人の力士が降りて来た。 
気のせいか、なんとなく元気が無い。 
コロナ騒動が終らなければ、みんな元気になれない。困ったものだ。 
 
        自分の出番に合わせて、出勤?する相撲取り。   
 
 
(おまけの話) 
土用丑の日なので、出先のスーパーを覗いてみた。 
「今年はうなぎの稚魚が豊漁」と聞いたので、「かば焼きは幾らか?」が気になったのである。 
 
2軒で見たが、安い店は1匹が980円、高くても1980円だった。 
そこへ女房から電話が掛かった。「いま三越にいるけど、うなぎを食べたい?」。 
 
     下町のス−パーで見た「うなぎのかば焼き」は1980円。 
 
 
「うな重」は毎年のように値上がりし、しかも小さくなっている。 
私の贔屓の東京の名店である「野田岩」は毎年、「土用の丑の日」に休業する。 
 
その理由はお店で聞いたことがないので定かでないが、「土用の丑の日は、全国的にウナギが食されるために良いものが必要数、手に入らない」ということらしい。 
 
     「三越デパート」のうなぎで作った我が家の「うな丼」 
 
 
そんなことで、「土用丑の日」の夕食に、初めて自宅で「うな丼」を食べた。スーパーで買ったものよりだいぶ高いので、心して食べた。 
野田岩で食べれば、最近の値上がりで同じようなものが5000円もする。 
 
それにサービス料の10%が乗り、更に消費税が加算されるので6000円を超えてしまう。 
「日本うなぎ」は絶滅種に指定されているので、あと何回、食べられるか? 
 
最近、築地場外市場の専門店「はいばら」で食べたうな重は3000円だった。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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