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[2020.07.22]
■ベトナム(13)・・・生徒の手作り料理 
(2013年7月21日) 
 
KAIZEN日本語学校では私は無害のせいか、結構人気があるように思う。先生達も私がソン社長の恩人だと聞いているようで、それで気を使ってくれているのだろうと思う。 
 
生徒達はもっと単純である。 
「ネイティブの日本人から、生の日本語を習いたい」のが理由である。 
それに毎日、3人の生徒をランチと夕食に招待しているというのも大きい。 
 
アパートの大家さんは左側のお菓子屋さんらしい。 


生徒達は地方の貧農の子供たちが多い。 
ホーチミン市に出て来て日本語学校に入り、日本語を学んで日本に行き、3年間辛抱すれば田舎に家が建てられるくらいの大金が手に入る。 
 
部屋は狭い路地を入った2階にある。 
 
 
最近になって円安が進んだので彼らの手取りには減ったが、それでも大金である。研修生が会社からもうら日本円が、ベトナム・ドンになると目減りする。こんなところにも、国際的な金融や為替が関係している。 
 
冷蔵庫も無いので、その日の内に食べてしまう必要がある。 
 
 
間もなく日本に行く予定の生徒の1人から、自分のアパートでの食事に誘われた。ベトナムでは昔の日本と同じように、まだ先生は尊敬の対象である。 
 
多少のお金持ちで日本語を話すとなれば、ここでは誰でも憧れの対象となれる。戦後のある時期の、日本にいた進駐軍のアメリカ兵みたいなものである。 
 
狭いキッチンで米を研ぐ。 
 
 
「食事に誘われた」といっても、レストランではない。 
彼女達が自分で作る料理をご馳走したいというのである。 
 
以前に彼らの生活を垣間見たことがある私は、その招待を恐れている。 
なにしろ、10畳くらいの部屋を6人で借り、風呂無し、共同トイレという生活である。もちろんであるが、キッチンなどあるはずもない。 
 
美味しそうな料理が並んだ。 
 
 
招待を受けたので行ってみたら、彼女の部屋は6畳くらいで、キッチンとトイレが付いているので少し高級である。 
そこに女性3人と、その中の1人の女性の従兄弟が住んでいる。 
 
早朝の5時半に市場に行って新鮮な物を仕入れ、それを一生懸命に調理してくれていた。ベトナム語の料理名は分からないが、生春巻き、豚肉と玉子の煮付け、ブタのひき肉と野菜のスープである。 
 
デザートにはマンゴスチン、絞り立てのオレンジジュース、名前の分からない果物などが並んだ。 
 
2階はロフトで、女生徒の従兄弟が1人で占領している。家賃の負担は4人で割り勘だそうだ。 
 
 
親元から仕送りはなく、1時間50円から100円のアルバイトで暮らしている彼女からご馳走になってしまい、気が重い。 
なんだかんだと言いながらも、彼らに比べれば日本の若者はまだ甘い。 
 
でも、一度豊かさを味わってしまうと、人というのは後戻りは出来ないんだなー。ベトナムも彼らの頑張りで豊かになれば、その彼らの子供は頑張らないだろうなー。 
 
タイルの床に座り、生春巻きを自分で巻いて食べる。 
 
 
(おまけの話) 
私はベトナムで携帯電話を買った。 
日本円で4000円くらいで、通話料はお店に行ってチャージしてもらう。それも500円も払えば、しばらく使える。 
 
私が携帯電話を買った大きな理由は、ベトナム語が分からないので、なにかあった時に日本語学校の先生に通訳をお願いする為である。 
私の秘書役をしてくれているD副校長には、時々電話をしている。 
 
マンゴスチン(ベトナム語ではマンコー)と、絞り立てのオレンジジュース。 
 
 
それを見た女生徒が、「先生の電話番号を教えて下さい」と言う。 
これは断り難い。断る理由が無いからである。 
彼女達の目的は、電話でも日本語の練習をしたいからである。 
 
右側の2人の部屋。男1人、女3人で住む。 ここは良い方だ。 
 
 
なにしろ700人以上の生徒がいるのだから、彼らから電話があったら私は電話に掛り切りになってしまう。 
そこで私は「用事のある時だけ、電話して下さい」と念押ししている。 
 
そうすると、特に私に用事の無い彼女達は電話が出来ない。 
だから今のところ、女生徒から電話がかかったことはあまりない。 
 
2人は24歳。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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