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[2009.03.19]
■覚悟を決める時が来た
女房が旅行に出掛けたので、ひとり静かに本を読んでいる。人は生きていると『覚悟』を決める場面に出会うことが必ず一度や二度はある。 
私も今までに何度かそういう場面の経験をしている。 
その時の覚悟によって決めた人生を私は歩んで来たのだが、それが良かったのかどうかはまだ分からない。 
私が死んで、棺桶の蓋が閉まった時に分かるのだろうと思っている。 


そんなことを考えていたら、タイムリーに作家の五月寛之が『人間の覚悟』という本を出した。 
 
人間の覚悟 
 
今の時代は『経済が、絆が、国が壊れていく。ついに覚悟を決める時が来た』と五月寛之は言う。 
確かに私も色々な場面でいまの時代は『壊れている』と感じる。 
 
私の時代は今から考えるとデコボコはあったが、上り坂の時代だった。これからはズーと下り坂の時代かもしれない。 
でも、覚悟を決めれば下り坂も悪くない。あまり悲観的に考えない方が良い。 
重力に任せて自然体で進めば下りは楽で、それもまた楽しいに違いない。そのくらいの覚悟で行かないと、人生は長いのだから続けられないと思う。 
 
人間の覚悟を読み終えたので、正月休みに読む予定をして買ったままになっていた『悪党芭蕉』に取り掛かる。 
 
悪党芭蕉 
 
読めなかったのには理由がある。 
正月休みにTさんから仏像彫刻の宿題が出てしまったからだ。 
この本は私の中学・高校時代の同級生で作家になった 
嵐山光三郎君が書いた本で、泉鏡花文学賞と読売文学賞をダブルで受賞した傑作である。 
 
これは芭蕉という人物を根底から見直す驚きの本であった。 
この本の中に出ているエピソードをひとつだけ。 
『古池や蛙飛びこむ水の音』という有名な句があるが、実際にはカエルは水に飛び込むことはなく、岸辺から静かに水に入るという習性だそうだ。 
だから、この句は写生ではなく、芭蕉のフィクションだと彼は書いている。是非とも一読をお勧めします。 
 
電車のお供に 
 
(おまけの話) 
この夏が来ると、また伊達に行くことになる。 
これで7回目の夏を伊達で過ごすことになるが、その時に私は67歳だ。これをいつまで続けられるかは、いまのところは分からない。健康がいつまで続くのか、車の運転が続けられるのか、なにか事情が出来て行けなくなる時が来るのか、それは分からない。 
 
でも、いずれ『行かない』という覚悟を決めないといけない時が来る。その時が来たら、どうすればいいのだろう? 
今までの私は何事も決断が早過ぎて失敗が多かった人生だったような気がする。 
その時ばかりはゆっくりと考えてから決断しようと思う。 
 
伊達に行かなくなった時のことを考えてみた。 
先ず、イコロ農園の田圃のひえが気になりそうだ。Tさんは農薬に頼ってしまっていないか?とか、K会長は窯を気にして来ているだろうか?などと考えそうである。 
 
寿司屋の文七は繁盛しているかな?とか、Sさんは相変わらず海に出ているかなー?なども考えそうだ。Oさんは庭の栗を送ってくれるかなー?なんてことも考える。 
更に困るのは、ゴルフ場に預けてある膨大な量の家財道具である。 
この処分はKさんかTさんに頼むしかないだろうと思う。 
 
でも、『行かない』と決めたのに、急に思い立って飛行機に乗って行きそうだ。 
その時はイコロ農園の2階に泊めてもらおうと思う。 
Tさん、お願いしますね。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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