■レタスがなかなか育たない
レタスの苗を畑に移植してから14日が経った。 なにしろ私の場合はレタス専業農家の菅原さんと違い、畑が近い。居間の硝子戸から3歩である。
だからレタスが気になって、しょっちゅう見に行く。
そんなに見に行っても、そうは変わらない。
当り前のことである。
レタス畑には温室効果を狙って防寒シートを被せてある。
そのシートは半透明の不織布で出来ているのだが、中がよく見えない。
そこで、見る時には端を持ち上げて覗き込む。
レタスと二十日大根
一緒に植えた二十日大根はまあまあ順調に育っている。
なかなか育たないレタスに業を煮やしている内に、もう待てなくなって、遂にグリーンセンターに行って、大きくなった白菜とキャベツの苗を買って来て植えた。
キャベツと白菜
これだと見栄えも良く、『育っているなー』という感じを受ける。なんだか変に安心してしまう。
年の割には落ち着きがないと自分でも思う。
種から育てると、なかなか大きくならないが、ある程度大きくなった苗を植えると、そこからの生育は早いような気がする。どうなんですかー? 本職農家の菅原さーん?
特別栽培レタス
(おまけの話)
レタスを植えたら、やたらとレタスのことが知りたくなった。
私がレタスを生まれて初めて食べたのは、いつのことだった全く思い出せない。
多分、45年前にニューヨークのレストランで食べたのが最初だろうと思う。
そこで菅原さんにレタスに付いて聞いてみた。
私 『日本人はいつからレタスを食べ出したんですかー?』
菅原さん 『レタスは戦前にもあったかも知れませんが、盛んに食べるようになったのは戦後でしょうね。やはり進駐軍用に作付けするようになったのが始まりの様なものでしょうね。
レタスは冷涼野菜ですし、大消費地まで近いと言う事と連作障害が出づらい事、農協の頑張りにより長野県が生産量の70%以上のシェアーを占めるに至ったのです。
我が家のレタスの栽培は、室蘭港に入港する外国船の船員用に栽培を始めました。
昭和40年代前半です。市場では、ほとんど売れなかったとの事です。何事も最初に始めると痛い目に合います。』とあった。
『知らないことは何でも聞いてみるものだ』と、この年になってもそう思う。