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[2009.05.21]
■アメリカ人に生まれたかったあの頃
原宿がいつからあんな派手な若者のファッションのメッカになったのかは、ハッキリとは覚えていない。 
私の従兄弟がアメリカから戻り、原宿にヒッピーのアクセサリーとアメリカ中古衣料品の店を出した35年くらい前は、駅を降りる人もなく寂しい町だった。 
 
その原宿へ何年ぶりかで行った。 
目的は『デザイン・フェスタ・ギャラリー』を見る為である。 
JR山手線の原宿駅を降りて竹下通りに向かう。 
狭い道路は地方から来たと思われる制服姿の修学旅行の女学生で大混雑している。 
 
竹下通り 
 
みんな決められたようにクレープを食べている。 
竹下通りから修学旅行生と外国人が居なくなったら、地方の駅前と同じく、シャッター通りになるんじゃないかと心配だ。 


竹下通りを先に進み明治通りを横切ると、そこには別世界が広がっている。お上りさんの女学生は居ない。 
ここは東京都民らしき人達ばかりである。 
目当てのデザイン・フェスタ・ギャラリーは派手なのですぐ分かった。 
 
デザイン・フェスタ・ギャラリー入口 
 
ここは外国でも有名らしく、色々な国からアーティストがやって来ては、建物の内部はもちろん、外壁、床、椅子、テーブルまで素敵な絵を描いている。 
 
デザイン・フェスタ・ギャラリーカフェ 
 
ギャラリーの中より外に描かれた絵の方が派手なので、そちらの方が面白い。 
 
ジンジャエールを頼んでカフェに陣取る。 
そこにいる人達はみんな若く、芸術家に見えるから不思議だ。 
床からテーブルから壁まで、どこもかしこも原色でデザイン画が描かれているので、和風が好きなオジサンには疲れる。 
 
 
ここからいつか世界的に有名になるデザイナーが誕生するのだろう。 
東京には私の知らない色々な世界があるんだなー。 
 
 
(おまけの話) 
原宿の南側の、今は国立代々木競技場となっていてNHKなどがある場所は戦後はワシントン・ハイツと言われていて、そこは米軍将校の家族の為の宿舎が建てられていた。 
 
私は大学卒業後はアメリカに行きたかったので、伝手を頼ってワシントンハイツの中の将校の奥さんに英会話を習いに行っていた。 
パスを見せてゲートをくぐると、そこには驚くような世界が広がっていた。 
 
広い緑の芝生が家の前には広がり、モダンな家の中には靴のままで入る。それが慣れていないので、恐れ多かった。 
お手伝いさんに案内されて居間に進むと、そこにはテレビドラマに出て来るような美人の白人の奥さんが待っていた。 
約1時間の英会話の間には紅茶とクッキーが出される。 
当時の私達日本人の生活とは全く違う世界がそこにあった。 
 
月謝はいくらだったか忘れたが、それが将校の奥さんのアルバイトであった。 
あの時、シミジミ思った。 
『アメリカ人に生まれたかったなー』・・・と。 
今は日本人に生まれて良かったと思っている。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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