■ぶらり全駅下車の旅(代々木~千駄ヶ谷)
代々木駅から先はゆるい下り坂となっている。 その坂の途中の右側に「yamano」がある。
ここはある年齢以上の人なら、『山野愛子美容室』の名前で覚えていると思うが、彼女は日本にパーマネントを普及させた功労者なのである。
yamano
その道を更に進むと突き当る。
そこを右に曲れば明治神宮の北参道であるが、私は左に曲がる。
明治神宮北参道
すると山手線のガードをくぐり、すぐに明治通りに出る。
この道はいつも車で通る道である。
明治通りの角の高速道路の橋脚の下の隙間に、ホームレスがいた。
どんな素性の人か知らなかったが、いつも本を読んでいた。
昨年くらいから見掛けなくなったが、追い出されたか、或いは亡くなったかは分からない。
いつもここを通る度に、彼の人生と付き合っていたような気がする。
明治通りを渡る時に左手を見れば、日本共産党のビルがある。右に曲れば、2キロくらい先が原宿である。
日本共産党ビル
ここからはJRと首都高速道路と、私の進む道が平行している。銀杏並木のこの道は、秋には紅葉で素晴らしい道となる。右手に国立能楽堂がある。
その先の右側に津田塾大学がある。もうここは千駄ヶ谷駅前である。
津田塾大学は女性だけの大学であり、私などはここの卒業生と聞いただけでビビッてしまい近付き難いのである。
津田塾大学
(おまけの話)
年を取ると、古い話が多くなるのは困りものであるが・・・。
40年ほど前の話である。
明治通りの交差点を右に曲がり、原宿交差点の少し手前の細長いビルの1階にアメリカのヒッピー文化の小物や古着を売る店があった。
この店は『ハリウッド・ランチ・マーケット』という名前で、知る人ぞ知るという店だった。ここのオーナーが私の従兄のTであった。
世界中で若者がヒッピー文化を目指してした時代だったので、彼の店は一躍脚光を浴びて、時の人となった。
能楽堂前
それから躍進が始まり、彼の会社は大きくなった。
私から見れば、なんとも奇抜な恰好で町を闊歩するTだつたが、アメリカのファッションに興味を持つ若者から崇拝されて、今で言うカリスマだった。
その後、競合相手も増えてしまい、またTは健康も害してしまい、今は業界からも身を引いて、静かに余生を送っている。