有珠山の北側に四十三山(よそみやま)と呼ばれる地域がある。こんもりとした丘状の山でこの山頂からは洞爺湖や羊蹄山が望めるのだが、いまは木々が繁ってその間から望むことになる。
[2016.01.18]
[2015.06.08]
英雄たちの選択 「もうひとつの明治維新~敗者 伊達家北海道開拓の苦闘」
(NHK BSプレミアムで2015年1月29日放送)という番組から、明治初年に始まった伊達武士団の北海道開拓をたどってみる。
(NHK BSプレミアムで2015年1月29日放送)という番組から、明治初年に始まった伊達武士団の北海道開拓をたどってみる。
[2015.03.05]
3月3日はひな祭り。
伊達の開拓記念館では、館内の展示物の無料観覧を実施して、甘酒をふるまってくれる。久し振りに出かけてボランティア説明員の方に展示物の説明を受けながら見せていただく。
伊達の開拓記念館では、館内の展示物の無料観覧を実施して、甘酒をふるまってくれる。久し振りに出かけてボランティア説明員の方に展示物の説明を受けながら見せていただく。
[2014.11.02]
秋深まり、黄紅葉が山から麓に、町中の木々に広がる。
噴火湾文化研究所の裏のななかまどの並木もすっかり紅くなり、樹列を連ねている。
畑ではビートの取り入れも始まっている。
早いところでは収穫したビートを伊達の製糖所に持ち込み、今年のビートを煮ての砂糖作りが始まった。
噴火湾文化研究所の裏のななかまどの並木もすっかり紅くなり、樹列を連ねている。
畑ではビートの取り入れも始まっている。
早いところでは収穫したビートを伊達の製糖所に持ち込み、今年のビートを煮ての砂糖作りが始まった。
[2014.02.17]
[2014.01.08]
[2013.11.26]
明治の終わり頃、洞爺湖のほとりに四国の金毘羅宮を分霊建設しようと考えた人がいた。
秋山宥猛(あきやま ゆうもう)と篠原又兵衛の二人である。かれらが洞爺湖のほとりに四国の金毘羅宮、旅館やみやげ物屋を含む一大門前町を築こうと計画したことや、その顛末を振り返ってみる。
秋山宥猛(あきやま ゆうもう)と篠原又兵衛の二人である。かれらが洞爺湖のほとりに四国の金毘羅宮、旅館やみやげ物屋を含む一大門前町を築こうと計画したことや、その顛末を振り返ってみる。
[2013.10.23]
三松正夫さんは、ご存知のように昭和新山が生まれてくる過程を、日記やスケッチなどで克明に記録に残してくれた方である。
昭和新山の麓の三松正夫記念館には、これらの資料や三松正夫さんに関連する資料が多く残されている。
昭和新山の麓の三松正夫記念館には、これらの資料や三松正夫さんに関連する資料が多く残されている。
[2013.08.21]
日本の各地で集中豪雨が続き、河川の氾濫や山の土砂崩れの被害の報が連日のようにニュースで紹介されている。ここ数年、このような異常気象が増してきていると感じる。
[2013.01.28]
冬の有珠の火口原に入り、銀沼火口の縁に立つ。白とこげ茶の世界である。銀沼火口の端の方からは勢いよく噴煙が上がっている。よく見ると多数の小さなパイプ口様のところから水蒸気が勢いよく出ている集まりである。