■遊べや遊べ
わたしたちの年代の子供の頃は、外でいっぱい遊びましたね。
わたしたちよりかなり先輩の小沢昭一は1929年(昭和4年)東京 蒲田の写真館に生まれる。当時の蒲田は東京の郊外で、新興地区として活気のある場所だったそうだ。
小沢昭一著「散りぎわの花」文芸春秋社 の中に次のようなくだりがある。
懐かしかったのでその一節を紹介させていただく。
*――書きつくせますかなあ。思い出すままに、その頃私がやっていた遊びを列挙してみます。
家の周りの道路や路地をつかっての遊びは、隠れんぼ、鬼ごっこ、悪漢探偵、水雷艦長、三角ベース、馬とび、馬乗り、石けり、どこ行き、だるまさん転んだ、字隠し、兵隊ごっこ、チャンバラごっこ、ジャンケンおんぶ、出せ出せじゃんけん、下駄かくし、らくがき・・・
ものを使って遊ぶのは、メンコ、ビー玉、ベーごま、竹べら、釘さし、輪廻し、紙ヒコーキ、ボール紙ヒコーキ、ケン玉、竹とんぼ、ぱちんこ、竹馬、缶パカパカ、しゃぼん玉、ハンカチ取り、ハンカチ落とし、糸電話、日光写真・・・
女の子にまざって、ないしは女の子もまぜて遊ぶのは、縄とび、ゴム縄とび、とおりゃんせ、花いちもんめ、おはじき、おはじき陣とり、ままごとのお父さん役・・・
原っぱや神社の境内で遊ぶのは、西洋陣とり、日本陣とり、相撲、野球、ドッジボール、ゴロベース、模型ヒコーキ、木登り、ターザンごっこ、虫とり、草(おもにオオバコの茎)の引っぱりっこ、つくしの「どこついた」、草笛、笹舟、ひいらぎの葉のクルクル廻し、葉っぱ提灯、カマ廻し、木の実拾い、押しくらまんじゅう・・・
正月には、凧揚げ、羽根つき・・・
雪が降れば、雪合戦、雪だるま、雪吊り、雪すべり、箱すべり・・・・
少し遠くの森や沼まで遠征するのは、つり、魚すくい、かいぼり、蝉捕り、とんぼ捕り、バッタ捕り・・・・
雨が降ったら、待ってました!ドブの水が増水して、近所の水門に魚がのぼってくるのを網ですくうのです。鮒、鯉、鯰・・・・心が躍りました。
家の中で遊ぶのは、将棋、廻り将棋、軍人将棋、五目並べ、ナンコナンコいくつ、トランプ、花札、双六、福笑い、家族合わせ、コリントゲーム、手品、紙相撲、紙芝居づくり、折り紙、あやとり、ぬり絵、お手玉、指相撲、指の風呂、影絵・・・・
町内のお祭りともなれば、御輿をかつぎ山車を引くのはもちろん、境内の隅で、子供たちは針金鉄砲の射的屋ごっこで遊びましたし、池上本門寺のお会式の晩は、太鼓たたいた万灯の行列が引っ切りなしに近所を通って寝てなんかいられません。こっちもフライパンを叩いて「テンテケツクテケドンドン、一貫三百ァどうでもいい」と、お会式ごっこです。
また蒲田の町では、当時、毎週火木土と、通りを変えて夜は縁日が並ぶのです。この夜店は私の“必修科目”で、必ず出かけていき、それも夕方店が開くときから深夜閉じるまで、私は人の流れをかいくぐって、あっちの物売り、こっちの口上と耳を傾ける子供でありました。*
長い引用になってしまったが、わたしもここで書かれた遊びの多くを子供の頃にしていた思い出がある。「指の風呂」というのが分からずネットで調べると、指を使ったお風呂屋さんごっこ、のように説明している項があった。わたしはこの遊びをした記憶がない。
これら遊びを真面目に(!?)極めれば、相当の技能士であり、戦術家であり、スポーツマンであり、ギャンブラーであろう。どんなにか遊びから多くの知恵を、ルールを教わっただろう。毎日手を変え品を変え遊んでも、尽きることがないくらいの種類があった。
この他にも子供たちは忙しい。再び続きを引用させてもらう。
*それに子供は、何でも身の廻りのものを使って、うまいこと遊んでおりましたなあ。だから、何遊びという名前なんかない遊びがいっぱいあるのです。みかん箱が落ちていれば、その底に、どこからか戸の下につける車を見つけてきて取り付け、交替に縄で引っぱって乗ったりしていましたし、大きな竹籠を拾ってきては、そこへ近所の猫を何匹も捕えてつめこみ、ふたをして転がす、なんていうヒドイこともやったのでありまして、通りかかったどこかのオヤジさんにどなられて、逃げるというのもまたオモシロイことでした。
ワルイことはずいぶんやったのでして、ひとの家の柿やイチジクを盗む。ベーゴマを先にはさんで道路でこすって磨くための竹は、他人の家の竹垣を抜いてきたりする。また原っぱの、人が通り抜けるあたりに、草と草をしばって足が引っかかって倒れるようにしたり、落とし穴は草で覆ってまことに巧妙にこしらえ、人が転ぶのを、遠く離れて、じっといつまでも見守るというような、そんなけしからんワルサはひときわ心ときめいたものです。子供のけんかも、いま考えれば遊びの一種でしょうかな。
さらに紙芝居が来れば、これは筋が連続ですから毎日見なければなりません。またチンドン屋さんのあとはよくついて歩きましたし、近所の神社の境内で休憩するチンドン屋さんと仲よくなって旗持ちをやらせてもらったこともあります。*
こういっぱい思い出されると、昔の子供は忙しかった!柿やいちじくは取りました。ざくろの実も食べました。種が大きくて、たいして食べるところはないのですが。
さらに町内野球チーム、巻き玉鉄砲、ゴム鉄砲、2B弾、空き缶ちょうちん、野球ゲーム、自転車乗り、たきびで焼き芋作り、幻灯機や少年雑誌の10大付録作りなどもありましたね。床屋に行くと「サザエさん」の漫画を読みました。
紙芝居は毎日楽しみだった。紙芝居屋のおじさんがやって来て、肩からつりさげた大きな太鼓をたたきながら町内を回るときにいっしょについて歩く。毎日の続き物が「ドドーンドン、○○の運命やいかに!また明日に続く」となってその日の語りが終わる。毎日5円か10円か持って、紙芝居は見に行った。あのおじさんは、毎日いくつの町内を回っていたのだろうか?
あの当時はやることがいっぱいあって、学校から帰れば、町内で走り回ったり、たむろして夕方暗くなるまで遊びほうけていた。年上の子も年下の子もまざって一緒に遊んでいた。時々上の子にゴツンとやられることもあったが、遊びながらルールを教わっていたところもあった。
とんぼやちょうちょがいっぱいいた。オニヤンマ、ギンヤンマは子供の憧れだった。かなぶんやほたる、大きな蛾は夏の夜の風物だった。夕方にはコウモリも舞っていた。川原でカニ、ザリガニをよくとっていた。
毎日やることがいっぱいあった子供時代。遊んで遊んで飛び回っていました。
(2015-3-10記)