■里山のあった頃
私の子供の頃は、里山というのはどこにでもあった。 里山から連想するのは、「雑木林」、「藁葺屋根の農家」、「畑と田圃」、「キノコ」、「ドングリ」、「栗」などであろうか。
私が育った頃の小金井は、周り中に雑木林があった。
畑や田圃もあり、のどかな田舎町であった。
だから、私は里山で育ったようなものである。
雑木林
ところで、友人達と作っているデジカメクラブの10月の課題は「里山」だと連絡が来た。
今の小金井は人口が爆発して住民が11万人以上もいるので、ここは大都会でもう里山は無い。
デジカメクラブの会長のM君は、今でも山梨県の山奥に住んでいるので、そこらじゅうが里山だから撮影に困らない。
でも、都会人の私は困るのである。
栗のイガ
昨年の11月の課題が「紅葉」と決められて、沖縄在住のF君が、『沖縄には紅葉は無い!』と、クレームをつけていたことを思い出した。
今月の課題の「里山」は沖縄にもあるんだろうか?
でも、文句を言っても仕方ないので、それらしき風景の撮れそうな小金井公園に出掛けてみた。
ここにある東京江戸建物園の中には古い農家が保存されている。
それを背景に入れたら、里山らしくなるんじゃないかと考えた。
藁葺屋根の農家とススキ
500円の入園料を払って中に入り、西端の方にある藁葺屋根の農家に向う。ここに来ると懐かしいような気持ちになれる。
でも、実際に住んでいた人達は大変だったろうと思う。
冷暖房も無いし、裸電球で照らされた室内は昼間から薄暗いし、キッチンは釜だし、トイレはくみ取りである。
懐かしいが、あの頃には戻りたくないし、もう戻れない。
昔の農家の土間から居間を見る
(おまけの話)
私の育った家は、今から考えると凄く大きい家だった。
敷地が800坪くらいもあったので、庭が広い。
母屋の南側は芝生の庭で、東側には15メートル以上もある松の木が2本あった。私はその枝にハンモックを吊るして遊んだ。
また、更に大きな欅の木も何本かあった。
北側には熊笹をかき分けて進むと、そこに50坪くらいの池があった。その池には敷地の北側を流れる1メートル足らずの幅の小川から水を引き込んであった。
どんぐりと枯木のキノコ
西側にはビリヤード・ハウスがあり、その脇に大きなサワラの木が2本あった。ある時、植木屋にその木を切ってもらい、それを材料にして風呂桶を作ったということがあった。
いま思い出してみると、私の子供の頃はまるで田舎の子のようだ。
私は里山の真ん中に住んでいたようなものなのである。