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[2010.10.15]
■里山のあった頃
私の子供の頃は、里山というのはどこにでもあった。 
里山から連想するのは、「雑木林」、「藁葺屋根の農家」、「畑と田圃」、「キノコ」、「ドングリ」、「栗」などであろうか。 
 
私が育った頃の小金井は、周り中に雑木林があった。 
畑や田圃もあり、のどかな田舎町であった。 
だから、私は里山で育ったようなものである。 
 
雑木林 


ところで、友人達と作っているデジカメクラブの10月の課題は「里山」だと連絡が来た。 
今の小金井は人口が爆発して住民が11万人以上もいるので、ここは大都会でもう里山は無い。 
 
デジカメクラブの会長のM君は、今でも山梨県の山奥に住んでいるので、そこらじゅうが里山だから撮影に困らない。 
でも、都会人の私は困るのである。 
 
栗のイガ 
 
昨年の11月の課題が「紅葉」と決められて、沖縄在住のF君が、『沖縄には紅葉は無い!』と、クレームをつけていたことを思い出した。 
今月の課題の「里山」は沖縄にもあるんだろうか? 
 
でも、文句を言っても仕方ないので、それらしき風景の撮れそうな小金井公園に出掛けてみた。 
ここにある東京江戸建物園の中には古い農家が保存されている。 
それを背景に入れたら、里山らしくなるんじゃないかと考えた。 
 
藁葺屋根の農家とススキ 
 
500円の入園料を払って中に入り、西端の方にある藁葺屋根の農家に向う。ここに来ると懐かしいような気持ちになれる。 
 
でも、実際に住んでいた人達は大変だったろうと思う。 
冷暖房も無いし、裸電球で照らされた室内は昼間から薄暗いし、キッチンは釜だし、トイレはくみ取りである。 
 
懐かしいが、あの頃には戻りたくないし、もう戻れない。 
 
昔の農家の土間から居間を見る 
 
(おまけの話) 
私の育った家は、今から考えると凄く大きい家だった。 
敷地が800坪くらいもあったので、庭が広い。 
母屋の南側は芝生の庭で、東側には15メートル以上もある松の木が2本あった。私はその枝にハンモックを吊るして遊んだ。 
また、更に大きな欅の木も何本かあった。 
 
北側には熊笹をかき分けて進むと、そこに50坪くらいの池があった。その池には敷地の北側を流れる1メートル足らずの幅の小川から水を引き込んであった。 
 
どんぐりと枯木のキノコ 
 
西側にはビリヤード・ハウスがあり、その脇に大きなサワラの木が2本あった。ある時、植木屋にその木を切ってもらい、それを材料にして風呂桶を作ったということがあった。 
 
いま思い出してみると、私の子供の頃はまるで田舎の子のようだ。 
私は里山の真ん中に住んでいたようなものなのである。 
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▼コメント(2)
名前:j.kim  2010.10.16 04:59:58
Just returned from my business trip at Manhattan NYC and experienced memory lane dating back 50 years from my junior high school days. The apartment buidling I used to vist between my dormitory years near West Point was still there at W 76th and Broadway.  
Pleasantly surprised to find all New Yorkers are very friendly when asked for directions. 色んな人種が住む二ヨークは活気ある素晴らしさを感じさせ中学生に戻った里帰り気分でした。 
名前:shinji  2010.10.15 13:25:27
不思議なことに、里山と言われても、なんのことだかさっぱりわかりませんでした。 橋本さんとは十年も年が違わないのに。 橋本さんは武蔵野の小金井で大きな敷地の中で育ち、私は東京の九段下や靖国神社のそばで育ったので その違いでしょうか、それとも私のアメリカ生活が長すぎたせいでしょうか?    私たちの子供のころの遊び場は空き地、原っぱ、路地で、里山ということばはありませんでした。一番大きな空き地は靖国神社前のもので、日本住宅公団のビルが建ってしまい、だんだん子供の遊び場がなくなっていく気配がありました。昭和31年頃でしょうか。  

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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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