伊達市地域生活情報マガジン『むしゃなび』へ ブログ★むしゃなび トップへ [今日:1] [昨日:1] [810] rss feed
[2011.01.28]
■徒然なるままに
突然であるが、「徒然草」の初めの文章が頭に浮かんだ。 
「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向いて、心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしかれ」 
 
この徒然草は中学生の時に、国語の授業で習ったのであるが、その序文を今でも覚えている。 
年をとると最近のことは忘れてしまうが、むかし覚えたことは忘れていないという不思議なことが起きる。 
 
本を読む 


なぜ、こんなことを思い出したかというと、私の書いているブログは自分にとっては橋本流徒然草ではないかと感じたからである。 
 
どうでもいいようなことを「徒然なるままに」書き続けて、5年以上も経過した。 
中には誰かにとっては参考になる話もあったかもしれないが、殆どが「どうでもいい話」である。 
 
スーザン・ボイルのCDを聞く 
 
でも、私が書くブログは、必ず自分で経験したり、体験したことで、受け売りの話や偉そうな評論はしないと決めている。 
 
また、写真を5枚添付すると決めているので、現地に行かないとブログに載せる写真が手に入らない。 
その為にアチコチとウロウロする羽目になっている。 
 
アメリカの安売り広告を見る 
 
最近は年齢から来るのか、外国に行くのが億劫になり、国内の話題が多くなっている。 
だから「おまけの話」で、むかしの外国での経験談が増えていると自分でも自覚している。 
 
そんな次第で、タイトルは「徒然なるままに」と言いながら、実際は必死になってネタを探して歩き回っているのである。 
でも、それが健康の秘訣かもしれない。・・・と、言い訳をしている。 
 
階段箪笥の仏像達 
 
 
(おまけの話) 
私がブログを書いている部屋は8畳の和室である。 
中央に大きな1畳の掘り炬燵があり、その上にパソコンと仏像彫刻の道具が雑然と置かれている。 
 
右手には小さな机があり、その上にはプリンターと手紙や書類を入れるラックと電話機がある。 
左向かい側には韓国で買った階段箪笥が置いてあり、その上に今までに彫った仏像が飾られている。 
 
引き籠り部屋 
 
掘り炬燵の奥は几帳で仕切られていて、そこが私の寝室である。 
枕元には電気スタンドとCD付きのラジオがある。 
その奥の押入れには、私の私物が保存されている。 
だから、食事とトイレ以外は、全てここで用事が済んでしまう。 
 
だから、「徒然なるままに」なんて恰好いいことを言いながら、本当は殆ど引き籠りの生活なのである。 
▼トラックバック(0)
このエントリへのトラックバックURL:
現在トラックバックの受信を停止中です
▼コメント(1)
名前:H.YAMA  2011.01.28 11:57:39
昨日の読売新聞の夕刊に久し振りに「曽野綾子」さんの談話が掲載されていた。1931年生まれとなると、我々より10歳年上となる。お若い頃の作品に「遠来の客たち」や「神の汚れた手」などがあるが忘れているので、もう一度読み直したい。80歳の曽野さんが改めて「老いを考える」と題してのお話を興味深く読ませてもらった。この歳になって頷く事が多々ある。  
*年齢と共に失うものは?「物欲です」物が欲しくなくなります。  
*年齢と共に得るものは何ですか?「自由です」生きていても、せいぜいあと何年と思えば、お金も自由に使える。  
それから、人に良く思われようと悪く思われようと仕方がないという「解放感」です。  
「いい人」でいるのは大変です。身動きが取れなくなる。人間て、大して良くも悪くもないんです。  
老年は、病気が増えるのが普通です。それを自分の運命としてどう受け入れるかが芸術でしょう。芸術とは、生き方そのものなのです。曽根さんの老いに対する考えには大いに共感できる。日本人は、今ある物を数えず、ない物ばかり数えている。引き算の生き方では幸福になれません。  
『老いて得た自由・解放感』『人の評価を気にしない』素晴らしい老いへの指針でありましょう。 

▼コメントを書く...
*必須入力です
 「コメント」欄は日本語で記入してください。
 英字数字のみだと、コメントと見なさず投稿できません。
*お名前:
URL:
*コメント:
プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
ブログ検索
最近のスナップから
2月の山中湖 
 
丸ビル方面の夜景 
 
ラーちゃん