■徒然なるままに
突然であるが、「徒然草」の初めの文章が頭に浮かんだ。 「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向いて、心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしかれ」
この徒然草は中学生の時に、国語の授業で習ったのであるが、その序文を今でも覚えている。
年をとると最近のことは忘れてしまうが、むかし覚えたことは忘れていないという不思議なことが起きる。
本を読む
なぜ、こんなことを思い出したかというと、私の書いているブログは自分にとっては橋本流徒然草ではないかと感じたからである。
どうでもいいようなことを「徒然なるままに」書き続けて、5年以上も経過した。
中には誰かにとっては参考になる話もあったかもしれないが、殆どが「どうでもいい話」である。
スーザン・ボイルのCDを聞く
でも、私が書くブログは、必ず自分で経験したり、体験したことで、受け売りの話や偉そうな評論はしないと決めている。
また、写真を5枚添付すると決めているので、現地に行かないとブログに載せる写真が手に入らない。
その為にアチコチとウロウロする羽目になっている。
アメリカの安売り広告を見る
最近は年齢から来るのか、外国に行くのが億劫になり、国内の話題が多くなっている。
だから「おまけの話」で、むかしの外国での経験談が増えていると自分でも自覚している。
そんな次第で、タイトルは「徒然なるままに」と言いながら、実際は必死になってネタを探して歩き回っているのである。
でも、それが健康の秘訣かもしれない。・・・と、言い訳をしている。
階段箪笥の仏像達
(おまけの話)
私がブログを書いている部屋は8畳の和室である。
中央に大きな1畳の掘り炬燵があり、その上にパソコンと仏像彫刻の道具が雑然と置かれている。
右手には小さな机があり、その上にはプリンターと手紙や書類を入れるラックと電話機がある。
左向かい側には韓国で買った階段箪笥が置いてあり、その上に今までに彫った仏像が飾られている。
引き籠り部屋
掘り炬燵の奥は几帳で仕切られていて、そこが私の寝室である。
枕元には電気スタンドとCD付きのラジオがある。
その奥の押入れには、私の私物が保存されている。
だから、食事とトイレ以外は、全てここで用事が済んでしまう。
だから、「徒然なるままに」なんて恰好いいことを言いながら、本当は殆ど引き籠りの生活なのである。