■骨董品のような思い出
引越しの為の片付けをしていると、昔の物が次々と出て来る。 古くて懐かしい物は、49年前の国鉄の切符であった。
友人のE君の店で働いていた女性の故郷である、佐渡島を訪ねる旅の切符だった。
輪島まで765円という安さには驚きだ。
次に出て来たのが、47年前のパスポートだった。
私はこのパスポートを持ってニューヨークに渡ったのである。その時の外務大臣は大平正芳さんだったんだー。
765円の切符(東京~輪島)
他にはなぜか1円札と50銭札があった。
私の子供の頃は、まだ50銭という単位は通用していたと思う。調べてみたら、58年前の私が11歳の時になくなったと判った。
それにしても、古過ぎる思い出が出て来たものである。
道理で、私も古くなったわけだ。
私の最初のパスポート(1964年)
(おまけの話)
1964年の頃というのは、そろそろ日本人の中にも豊かな人が現れて来て、レジャーを楽しむようになって来た。
モーターボートを運転するのが金持ちの証しみたいなところがあり、江の島辺りでは乱暴な運転で漁師とイザゴザが起きていた。
パスポートの表紙(当時は黒に近い紺色だった)
石原慎太郎の衝撃的な小説 「太陽の季節」は、それより10年ほど前の1955年の作品である。
太陽族という言葉が生まれて、石原裕次郎が映画界に鮮烈なデビューを果たしたのが、1956年のことである。
その頃はモーターボートを運転するのに免許は不要だったが、事故の多発により免許制が取り沙汰されていた。
50銭札(発行年月日は書いてない)
その時に私は友人の誘いで一級小型船舶操縦士の免許を取った。
これは当時は100トン未満の船の操縦が出来る免許で、洞爺湖の遊覧船の操縦くらいは出来たのである。
ところが困ったことが起きた。
免許制にすると、今までなにも問題無く仕事として魚を捕っていた漁師も、漁船の操縦に免許が必要となってしまった。
だが、彼らは操縦は問題無いのだが、学科試験が通らない。私は学科は問題無いのだが、実地が駄目である。
一級小型船舶操縦士免許証
その頃はまだ世の中は何事もそう厳格に運用していなかったので、漁師に免許を取らすためにカンニングを大目に見ていた。
私達の答案用紙を漁師に見せてあげる代りに、私達の実技も大目に見てもらったのである。
かなりのお金と時間を掛けて取った免許なのに、海から遠くに住んでいる私は遂にモータボートを買うことも、操縦することもなく、免許は失効したのである。