■大地震の時はどこに。
東京にも「東北地方太平洋沖地震」の影響があった。 その日は朝から2時頃までは納入業者と工事業者がひっきりなしにやって来て、私はお昼ご飯を食べる時間も無かった。
一段落したので、私は娘と一緒に中央区役所に転入届を出しに行った。市役所で手続きをしている時のことだった。
いきなり区役所がガタガタと大きな音と同時に振動を始めた。私の人生でも一番の激しい揺れであった。
夜明け前のお台場方面
吹き抜け天井が壊れて落ちて来ると思い、咄嗟に娘を申請書を書くテーブルの下に押し込んだ。
私は避難する場所が無いので、諦めてそのまま立っていた。かなりの時間が経っても揺れはおさまらない。
マンションに残っている女房に電話したが、全く繋がらない。そこで心配となり、私は残り、娘を先に帰した。
夜明けの東京タワーと六本木ヒルズタワー
マンションに戻ったら、エレベーターが止ったままである。
携帯電話は繋がらないので、ロビー入口のインターフォンで連絡し、女房の安全を確認した。
女房の話では、『その時は船が大きく揺れるような感じだった。立っていられなくて、床に這いつくばった。ちょうど家具屋さんが納品に来ていたので、一緒に居たので少しは心強かった』と言っていた。
夜明けの勝鬨橋
そして、『41階でこのくらいの揺れなら、地上は大したことはないと思い、あなた達のことは心配していなかった』と言う。
このマンションは耐震構造となっているので大丈夫なのであって、我々は死ぬかと思ったのにー。
朝陽はトリトンビルの脇から昇る
(おまけの話)
中央区役所からの帰りのバスが不通となってしまった。
地下鉄も駄目で、普段は空車ばかりのタクシーも来ない。
仕方ないので歩き出した。
近くの公園や空き地にはサラリーマン達が集まっている。
ビルの倒壊を恐れて、避難して来たようだ。
交差点に出たら、そこに築地警察署があった。
朝の隅田川
免許証の住所変更を予定していたので、交通課に行って
みた。係の女性警察官は、『こんな時に住所変更届けで
すかー?』と呆れている。
住所変更届けは呆気なく終り、家まで20分を歩いて帰った。