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[2007.07.31]
■カメラ屋が風呂屋になる
自分たちで作る予定だった五右衛門風呂は、やはり素人では難しく、またK築炉の出番となった。K会長にシカゴ旅行の往復の飛行機の中で考えてもらった設計はかなりの本格派だ。 
 
結局は技術の要らない土木作業だけを我々がやって、レンガ積みは本職がやった。 
しかも親方の指示に反して職人が考えた炉の形は造形的にも素晴らしい。 
 



地元の人達に入ってもらう前に、五右衛門風呂の製作で重要な役割を果たした関係者だけで試験入浴をすることになった。そのメンバーは釜を提供してくれたIさん、炉を製作してくれたK会長、イコロのオーナーのTさん、釜を磨いたYさん。そして発案と監督の私である。間近になってメンバーが増えた。 
 
元イコロの地主だったIさん、夕食の野菜を提供してくれた農家のSさんが加わった。なんだかんだと理由を付けてメンバーが増えてしまったが、それでもなんでも大勢が集まった方が盛り上がって楽しい。 
 
午後4時から釜に水を入れる。それと同時に下から火を付ける。約40分で入れる温度となった。誰が最初に入るか、みんな紳士なので譲り合う。 
そこで、釜を提供したIさんが入ってみる。お湯に浮かんだ板に乗り、そろそろと沈んで行く。 
 
うーん、なかなか良い。次に炉を製作したK会長、そして総監督の私で、次にイコロのTさん、それを見て入れ替わり立ち替わりにみんなが入る。みんな満足そうだ。私とTさんは試験入浴の前に家で風呂に入ってから現地に行った。 
 
洗い場の無い風呂なので、汚れは他の風呂で落としてから入るというのがマナーだとTさんは言うが、風呂に入る前に風呂に入ってから行くというのも何か変だな~。 
 
 
入浴後のみんなの感想は『入ってみたら、思ったより釜は大きい。それに温まる』というものであった。更にハーブを沢山入れたので、体がいつまでもポカポカと暖かい。Tさんは言った。『これは具合が良いので、風呂の後は芋煮会を開催しよう』。 
 
でもねー、この釜にはI家の長年の汗と垢と涙が浸み込んでいるんだよなー。そういえば、以前に建築家のSさんは『俺は絶対に食べないぞー』と言っていたなー。 
本業のカメラ屋がデジカメの普及でおもわしくないTさんは、『カメラ屋が風呂屋になった』と自嘲気味に言っていたのを聞いてしまった。 
 
これからしばらくは、この五右衛門風呂で楽しめそうだ。でも、次々ととんでもない企画をする私に町の人達は迷惑をしているに違いない。私の女房とTさんの奥さんも来たが、とても入れる状況ではなかった。 
 
(おまけの話) 
五右衛門風呂の本体である釜は壮瞥町のIさんからもらった。50年以上の歴史が刻まれた一品である。だが、かなり長く外に放置してあったので赤錆だらけである。それを先ず磨かなければならなかった。 
 
私はその時に東京から友人達が来ていて、運良く手伝えなかった。作業の要領を指示するためにイコロに行き、少しだけサンダーで磨いてみた。私は金属加工は本職であったから、この作業の大変さをよく知っている。 
 
もうもうと赤錆が舞い上がる。しかも釜の中を磨くためには、釜の中に顔を突っ込まなければ作業は出来ない。そこへ運悪くアップデートのYさんが現れた。 
そこで彼にやるように指示をして、少しだけ作業を見てから私はコテージに戻る。 
 
そのわずかな作業時間だけでも、彼の髪の毛は茶髪になってしまった。もうもうと上がる錆の埃の中で彼は真面目に最後まで作業を続けたということを後で聞いた。入浴会ではYさんを入浴順位上位にしようと思っていたら彼は遅刻した。 
それでも最後に入浴して、そそくさと仕事に戻って行った。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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