■雨の降った日は・・・。
普段から休日はなるべく出歩かないようにしている。 特に雨の降った日はなおのことである。
元々、晴れ男の私だから雨が嫌いで、家族からは「お麩男」と変なあだ名を付けられている。「お麩男」の意味は、「麩は水を吸ってしまうから、水を嫌う」ということから来ているのだそうだ。
これは女房の造語だから、世間には通用しない。
雨の築地市場と浜離宮
そこで、雨が降ると部屋に籠ることになるので、やることといえば、「仏像彫刻」か「読書」だ。
仏像彫刻は教材が品切れの為に、私の独自の物となっている。
今は大阪の住吉神社で買った「紋付き袴姿の招き猫」を彫っている。
大阪住吉神社の招き猫
右手を挙げている猫は商売繁盛で、左手を上げている猫は家内安全ということだそうだが、私は両方をセットにして彫っている。
本の話だが、最近の売れ筋の「大往生したけりゃ、医療とかかわるな」が面白い。医師が書いているだけあって、説得力がある。
人生の終りに際して医療との関わり方を書いているのだが、要は「老化は病気ではないのだから、医療と関わるのを止めた方が良い」ということを言っている。
「大往生したけりゃ、医療とかかわるな」、他。
老人は必ず体のどこかが具合が悪いのが正常なのだから、定期的に健康診断など受けて、悪いところを探してもらうのは止めよう。
癌の手遅れで死ぬのが一番楽な死に方だそうだ。
その為には「救急車に乗らないこと」が重要だそうだ。
救急車に乗ると、自動的に医療のレールに乗せられてしまいからだ。
家族は「出来るだけのことをしたい」と思うようだが、それが最後になって私を苦しめることになるのを知って欲しい。
窓際のプチ農園 (ゴジラが管理人)
(おまけの話)
私はかなり以前から、「なんで一生懸命になって体の悪いところを探してもらうの?、具合が悪くなったら医者に行けばいいんだよ」と言ってきた。
ところが4年前の夏に伊達市に滞在中に、女房を虻田のI医院に連れて行った時に、親しくしていたI医師から、「この機会に血液検査で癌が発見出来るから、やりませんか?」と誘われた。
雨の清澄通り
そして、検査の結果が前立腺癌だったのである。
あの時、発見されていなかったら、今頃はどうなっていたか分からない。
それで良かったのかどうかは、いまだに分からない。
でも、今後はもう検査はしないと決めた。
もう十分に生きたし、無駄な終末医療で苦しみたくないし、ボケも心配だし、早くアチラの世界で楽しみたいと思っている。
虻田のI医師さん、『あなたは健康診断をしていますか?』。
私の予想では、「していない」と思う。
紫蘇が育っている。いつ収穫できるか?