■寒い冬の噴水
この冬は例年になく、私は寒く感じている。 テレビの天気予報を見ていても、各地で大雪の知らせがある。
年寄が屋根の雪下ろしをしていて、屋根から落ちて雪に埋まり亡くなったという話を聞く度に、雪の降らない東京のありがたさを感じている。
日比谷公園の鶴の噴水
伊達市の不動産屋のX子さんから、例年のようにカレンダーが届いた。
そしてお礼のメールの返信に、「伊達市でも例年になく12月から大雪で、昨日はタクシーが運転取りやめたほど地吹雪がひどく前が全く見えない状態でした。
羽から下がったツララが美しい
家に帰るのに 前の車のテールランプが頼りで、それも時々見えなくなりどこを走っているのか分らなくなり止まりながら、やっと帰りました。」と、あった。
そんなメールをもらうと、「東京の寒さなんて大したことはないんだ」と思い直して、この冬一番という寒い日に日比谷公園に行ってみた。
公園の奥にある池の鶴の噴水が凍っているのではと思ったからだ。
予想通りに鶴の噴水は凍っていた。
口から吹き出す水は凍っていないが、羽から垂れ下がった氷が朝の光を浴びて美しい。
公園を通って出勤する人達も、思わず立ち止まってスマホで写真を撮っている。
公園入口の大噴水の様子を見に行く。
こちらは凍結はしていないで、大量の水を吹き上げている。
暑い夏には噴水は涼しげだが、寒波が来た日の噴水は更に寒さを感じさせる。
日比谷公園入口の大噴水
日当たりの良いベンチでは、何人ものホームレスが小さく丸まって寝ている。
昨夜はさぞ寒かっただろうと、同情する。
帰ってからマンションの友人にそのことを話したら、『でも彼らは冬が来ることを知らなかったはずがない。それよりも自由でいたかったんだよ』と言われて、納得した。
(おまけの話)
このマンションに引っ越して来た初めての冬は、『マンションというのは気密性に富んでいるので、暖かいなー』と思った。
以前に住んでいた小金井の家は、今から思えば隙間だらけだったようだ。
寒いのに雀が水を飲みに来ていた
2年目の冬になり、その時に思ったはずの「暖かさ」は消えた。
慣れてしまったせいか、或いは今年の寒波のせいかは分らない。
ヒートテックの下着の上下を身に着けて、それでも寒い。
女房は暑がりになったようで、私が暖房を入れてテレビを見ていると、『暑い!』と言って切る。私は素知らぬふりをして、それに耐えている。
なぜか紅白歌合戦のジュディ・オングを思い出した。
そういえば、私の両親もいつも『暑い』、『寒い』で、もめていたのを思い出した。
父は私と同じで『寒い』と言っていたが、母は『暑い』と言っていた。
それにテレビの音でも、もめていた。
父が音を大きくして見ていると、母が音を小さくする。
あの頃の両親と同じことをしている自分に、思わず笑ってしまった。
心字池の小さな噴水も頑張っている