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[2008.01.11]
■『私はそこにいません』と言われてもなー。
久し振りに両親のお墓参りに行った。 
前回は昨年の6月だったので、随分と行っていなかった。 
別に親不孝というわけではなく、なんとなく、『親を偲ぶのはなにもお墓に行く時だけじゃなく、家に居ても偲べる』と考えているからである。 
 
また、昨年は『千の風になって』という歌が爆発的にヒットして、どこでも誰でも歌うし、流れていた。その歌の中に『私のお墓の前で泣かないで下さい。私はそこにいません』なんてトンデモナイ歌詞があった。 


『千の風になって』 この歌が流行ることは別に文句は無いが、『私はそこにいません』という歌詞はお寺さんや墓石屋の営業妨害ではないかと感じている。 
 
若い人達はなんでも影響を受け易いので、『そこに居ないのなら、お墓参りはよそう』と考えるに違いない。現に私がそうだ(笑)。 
 
それでも暇な日だったので、女房を誘って八王子のお寺まで行った。ここは小さなお寺なので、お参り客は誰もいない。 
写真にある石段は私の父の実家が寄贈したものなので、お爺さんの名前が見える。 
 
 
丘の高台にあるお墓は日当たりが良くて気持ちが良い。タワシで墓石を磨き、その後にお線香を上げて500円の花束を2つ買ってきたので、それをお墓の水差しに挿す。 
私のお参りに続いて女房が手を合わせる。なんだかスッキリした。 
 
私のお参りはいつもお願い事をしてしまう。自分のことはお願いしないが、女房と娘のことをお願いする。墓の中の両親はお願いされても困るかもしれない。 
お墓参りでお願いをして良いのかどうか、誰か教えて下さい。 
 
墓参りのついでに、私の作品の阿弥陀如来像を墓の前に置いてみた。我が家は臨済宗南禅寺派のお寺なので、宗派が違うかもしれない。 
でも、仏心は伝わったと勝手に思っている。 
 
 
(おまけの話) 
私が檀家となっているお寺の住職の話である。彼の名誉の為にお寺の名前は出さない。 
いまの住職の父はかなり前に亡くなっていてあとを息子が継いだが、まだ24~5歳でお寺さんだけでは食べられず、お寺はお母さんに任せて自分は電気屋に就職していた。 
 
その頃は、法事があると会社を休んで来るという長閑な時代でもあった。 
私の父が亡くなったのは40年くらい前の体育の日の10月10日で晴天で暑い日であった。 
葬儀に現れたのはその若い息子で、お経の最中に暑さと足の痺れと修行の足りなさから、貧血を起こしてその場に倒れてしまった。 
 
次に数年前に母が亡くなった時にも彼は来ることになっていた。もうかなりいい年である。 
葬儀の時間が近くなって、その彼から電話が入った。『いま行く途中で車で人身事故を起こしてしまい行けなくなった。代わりの坊さんを手配したので、少し待ってくれ』と言う。 
 
1時間近く遅れて着いた見知らぬ坊さんにお経をあげてもらったが、母は成仏できただろうか? 
何日か後に葬儀費用の支払いの時に、彼は『申し訳ないので値引きをします』と言った。 
葬儀のお経代金を値引きしてもらっ人も少ないと思うが、坊さんが来なかったという人もいないのではないか? 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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