■いまも銀座の夜に頑張るダンボ
現在60歳以下の人は日本がまだ貧しくて外貨も無く、渡航も自由化されていなかった時代のことは知らないと思う。 小田実の『なんでも見てやろう』という本が売れたのは、渡航が自由化されてから数年後のことである。
そんな時代にニューヨークで世界博覧会が開催された。
その時に運良く試験に合格してニューヨークに行ったことが私の青春時代の思い出であると同時に、その後の私の生き方にも大いに影響を与えたと思う。
44年前に一緒にニューヨークに行ったバスボーイの15人の内、消息不明のA君を除いてはみな健在で、たまに集まっては昔話をする。・・・と、思っていたら、定年後青森県に戻ったY君が昨年10月に亡くなったという連絡が最近入った。これには驚いた。そんな中を新年になったので、私の発案で新年会を開催することになった。
世話役はいつもO君と決まっている。
新橋駅近くの博品館の中にある店に集まったのは、今回は6名であった。その内の3名がまだ現役である。お役に立てる仕事のある人は働いた方がよいと思う。
食事の後にNY博では日本館のバーテンダーだった通称『ダンボちゃん』の経営する銀座のバーに行った。彼はディズニー映画のダンボによく似ているのでその名が付いた。いまの店の名もその当時のあだ名を使って『ダンボ』である。
久し振りの仲間との話はどうしてもY君のことになる。彼は我々の仲間で唯一、NY滞在中に白人女性と付き合っていた。私から見れば、一番縁遠い男に見えたのだが・・。
青春時代をNYで一緒に過ごした思い出は私のルーツになっている。
利害が対立しない昔の思い出話はいつも楽しい。こうやって年をとって行くんだなー。
銀座へ飲みに行くことがあれば、是非ともダンボで飲んで欲しい。お勧めの店です。
『年寄りは昔話ばかりだから嫌だ』と若者は言う。
それは判る。私も若い時があったのだから。でも、そう言っている若者もいずれ年をとる。
そして昔話をするようになるのである。
でも年寄りの話にも為になることも含まれていることも事実だ。私の昔話のことではないが。
(おまけの話)
NY世界博覧会に日本から行ったのは我々15人の他には経営陣と支配人のNさん、マネージャーが数名、その他に素人のウエイトレスが200人、コックが30人くらい、バーテンダーが5人くらい、それに美容師と床屋までが一緒にニューヨークに渡った。
更に働く場所が劇場付きレストランだったので、踊り子関係が25名くらい居た。そんな中に伊達市に深く関っているX子さんがウエイトレスとして参加していた。
彼女は今では大会社の社長をしており、経済界ではかなりの有名人である。
伊達で会った時に彼女に頼まれたので、今回の新年会に誘った。ところが『そんなに急な誘いでは行けない。その日は三重県で講演会がある。次回からはもっと早く言ってね』と断られてしまった。
でも、彼女達の中で一番記憶に残っているのはファッションモデルだったAさんである。豹柄のコートを着て、ニューヨークの街を颯爽と歩く姿は日本人離れしていた。
まだ世間を知らない22歳の私は遠くから眩しく大人の彼女を見ていた覚えがある。
そんな彼女もしばらく前にハワイで亡くなってしまったと聞いた。