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[2008.02.01]
■久し振りの肉体労働(ハワイ・2)
先にハワイに来ていた私と女房は24日に到着するグループを迎えに空港に行った。 
レンタカーを借りていたので、参加者の作品を空港で預かり会場まで運ぶ。一般参加者は空港から観光に出掛けた。 
 
ホテルのチェックイン時間が午後3時なので、早朝に到着する日本からの観光客はどこの旅行社を使っても、眠い中を観光に行くというコースになっている。 


先生と幹事を私の車に乗せて天台宗ハワイ別院に向い、そこで準備をする。 
 
 
大きなパネルとか陳列の為のベンチを町の中のWard Shopping Centerまで運び、そこから2階の展示室まで狭い階段を手で運ぶ。これが重い。2人でないと運べない。 
運び手の中で私は元気な方である。他の人達で役に立つのは2人くらいだ。 
気持ちだけ手伝って見ている人がいるほどである。 
 
 
大きなパネルが10数枚、陳列台に使う重い木製のベンチが10台。それにハワイ側の作品がかなりの数ある。一番若い先生はお寺に準備の為に戻っていていない。 
重くて泣きたくなる。 
 
それでも他にやる人がいないので、やるしかない。 
全部を会場に運んでから、事務机の上にベンチを乗せて全体を布で覆う。 
次に皆から預かった仏像の梱包を解く。みんな自分の作品は大事だから、梱包が厳重でなかなか解けない。 
 
やっとの思いで陳列台の上に仏像を並べたところに荒了寛和尚が来て、『布が短くて、事務机の脚が見えるのは良くない。布を新しく買って来い』と言う。 
和尚の言うことには逆らえないので、会場の準備に来ていた大工に売っている店を聞いて私の車で探しに行く。 
 
私達はホノルルの地理なんて判らないのだから簡単に言われても困るんだなー。やっと探し当てた店で布を買ったが、それを会場に持って戻り、全ての仏像を降ろして布をやり直す元気はもう無い。 
同じ生徒なのに観光に行って準備を手伝っていない人達に、明日の朝に展示会が始まる前にやってもらうことに勝手に決めてホテルに戻った。 
 
女房はどこかに出掛けていて居ない。仕方ないので1人でレストランに食事に行った。 
帰って来た女房は『アラモアナ・ショッピングセンターにある六角という日本料理店に行っていたけど、美味しいかったわー』と、お気楽であった。 
 
(おまけの話) 
最終日のことである。仏像・水墨画展が終り会場の片付けをすることになった。仏像とか水墨画なんていうものは若い人はやらないのが普通だ。 
だから今回の参加者も最高齢は89歳で、一番若いのが仏像彫刻の先生というメンバーなのであるから、力仕事には全然向いていない人達ばかりである。 
 
準備の段階で私は大変な思いをしたので、片付けはプロを頼むことにした。 
私達は展示物だけを片付けて、プロが大きなパネルや台を運び出すのを見ていた。 
私がトイレに行くと、その途中でハワイ在住の隣室で展示をしているアートアカデミーのオバサンに呼び止められた。 
 
『なぜ日本人は自分達の片付けをしないんですか?』とかなり強い口調であった。 
私は『準備で大変なことが分かったので、片付けはプロに頼んだので、お手伝いは不要なのでは?』と答えると、『あれは私の主人ですよ!』と怒る。 
詳しく話してみて判った。お寺の担当者にプロを頼んだが、急なことでもあるし、日曜日なのでプロは手配出来なかったのだ。 
 
その連絡がこちらに来ていなかったという事情がお互いに判り、なんとか納まった。 
でも、そのオバサンは『最近の日本人は日本語でも判らなくなったのねー』と嫌味を言っていた。ここハワイでも日系人のオバサンは強かった。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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