■十二神将の開眼供養(ハワイ・4)
天台宗ハワイ別院は日光の輪王寺を本山として35年前にホノルルに建立された日本のお寺である。本家の輪王寺から御本尊として薬師如来を頂いているのである。その薬師如来をお守りする武神が12人いて、それを十二神将という。 これは私も最近知ったばかりだ。
ハワイ別院はホノルル空港から車で15分くらいの高台にあり、そこだけは日本である。お寺の木々は熱帯地方の樹木だが、それなりにお寺に溶け込んでいる。
ハワイで仏像展をやろうと計画し、縁あって天台宗ハワイ別院の荒了寛大僧正と知り合った。そこで、折角の機会なので『ハワイに行くまでに十二神将を彫って、それを奉納したらどうか?』という話が持ち上がった。
私はまだそこまでの実力が無いので辞退したが、先輩の生徒達が12人集まり、1人1体ずつ彫ることになった。
24日の朝に私がホノルル空港まで車で行き、製作者たちから十二神将を受け取りそれをハワイ別院に持ち込んだ。
翌日の朝の8時30分に日本からの参加者全員がハワイ別院に集合して、荒了寛大僧正のお経により開眼供養を行った。
・・・と聞くと、『橋本さんは宗教関係者なんだなー』と思うかもしれないが、私は全く宗教には関係無く、ただ趣味として仏像を彫っているだけである。
供養の後に奉納式を行い、本来はそのままお寺に納めるところを、今回は仏像展に持って行って展示してから返すことにした。
奉納式の後に出されたお茶菓子のナッツ入りのチョコレートが美味しかったなー。
ハワイではお寺のお茶菓子も和風ではないことを知った。
(おまけの話)
天台宗という宗派は昔は武家の宗教であり、領土を持っていたので、お寺1軒に檀家は1軒しかない。そこが他の宗派と違うことろである。
ところが荒了寛住職が日光山輪王寺からハワイに派遣されて、布教活動をするように命じられたが、既にその時は他の宗派が進出していて入り込む余地が無かった。
そこで檀家の無いお寺としては、寺の経営で随分と苦労をしたらしい。
檀家が作れないので、荒住職は仕方なく仏画を書いて、それを売るようになった。
ハワイでなんとか成功したので、日本からも銀座松屋デパートなどにも呼ばれ、今ではかなりの売れっ子作家になった。
一般の人は苦労をすると、それが顔に出る。『あの人は苦労したんだろうな~』というのが、その人の顔を見ると判る。
ところが坊さんは苦労すると『いい顔』になる。その代表が荒住職である。
その上にハワイの抜けるような常夏の空の下で生活して来たので、底抜けに明るい。
しかもアバウトであるところがハワイ的である。
私が『十二神将の開眼供養にはどのくらいの時間がかかりますか?』と聞いたら、『どのくらいでもいいよ。2~3分でも出来るよ』と言われたので、『それじゃー並でお願いします』と言ったら、約30分もやってくれた。