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[2008.02.09]
■芸人だらけのサヨナラ・パーティ(ハワイ・8)
3日間の仏像展を終り、片付けを終ってからサヨナラ・パーティを開いた。 
会場は日本料理店の3日間の仏像展を終り、片付けを終ってからサヨナラ・パーティを開いた。 
私は女房と先生を車に乗せて、お寺から会場へ直行した。 
 
一般参加のメンバーは私のアドバイスで大型リムジン3台でやって来た。9人乗りのダックスフントみたいな長細いハイヤーで、みんなは大喜びだった。 


会場は2階の畳の部屋にテーブルを並べて、椅子席で食べる。ハワイ側から10人のお客様が参加してくれて、大いに盛り上がる。 
型通りの挨拶に続いて乾杯となり、宴会はスタートした。 
次から次へと料理が出て来るが、それは日本料理だが長い間に少し変化している。 
 
『折角の機会だから日本の演芸をハワイの人に見てもらおう』という仏像彫刻の先生の発案で、いくつかの出し物が用意されている。 
最初は一番やりたがっていた先生のハワイ初登場の『山形大黒舞い』である。 
 
 
日本から衣装を持参しての熱演である。目出度い席には打ってつけの芸である。 
続いて草笛で『千の風になって』や童謡、水墨画の先生が手品、ハワイ側を代表して夏の家の女将の詩吟と続く。飛び入りで日本側の女性の黒田節、男性の英語の歌とかなり盛り上がる。 
 
最後に『仏像 in ハワイ』の実行委員長である私の挨拶だ。 
あまりに演芸が盛り上がってしまったので、『今回のハワイ訪問の目的は演芸大会ではなく、仏像・水墨画展が目的であったこともお忘れなく』と締めたら、ハワイ側のお客さんから『そうだった』との声が掛かった。 
 
ハワイに住む日系の人達が日本的なものに愛着を感じて、それを熱望していることもよく分った。 
でも、4世くらいになると、もう心もアメリカ人となっていて、日本は縁遠い世界のようだ。3世の人が次のようなことを言っていたことが印象的だった。 
 
『お経を英語でやれば若い人も付いて来るのだが、今のままではお経で何を言っているか分らないので、若い者はキリスト教に行ってしまうんですよねー』そうかもしれない。日本人の私だってお経で何を言っているか分らないんだから。 
 
 
(おまけの話) 
サヨナラ・パーティの会場となった夏の家は英語では『Natsunoya Tea House 』という。 
ここは87年の歴史のある日本料理店で、私の友人が国立でその名前を借りてレストランを経営している。そのご縁で、今回のパーティ会場に使わせてもらった。 
 
太平洋戦争の少し前に、この店は日本海軍の将校達の秘密の溜り場となっていた。 
この店からは真珠湾が一望に見渡せる。 
その為にアメリカとの開戦を前に、日本海軍の将校達がここを頻繁に訪れては、真珠湾に入港するアメリカ海軍の戦艦の動向を探っていたのである。 
その情報によって日本海軍の航空部隊による真珠湾攻撃がなされたのである。 
 
そんな由緒がある店でサヨナラ・パーティが出来たことはラッキーであった。 
この店はハワイ在住の日本人は知っているが、観光客は全く来ないので、殆どの日本人は店の存在を知らない。 
 
ハワイに行くことがあったら、是非とも歴史の証人である夏の家を訪ねてみて欲しい。 
そして女将さんの藤原さんに会って来て欲しい。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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