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[2008.08.27]
■帯状疱疹18日目の試練
私達はゴルフ場に住んでいるのに、ゴルフはあまりしない。伊達市に来た最初の頃は珍しくて楽しくて、毎日のようにゴルフをしていた。それが6年も経つとこの変わりようである。 
人間というものは、『いつでも出来る』という状況になると、意外にやらなくなるものである。 
だから、なんでも出来る時には思いっ切りやっておいた方が良いと思う。 
 



今から考えると8月4日に帯状疱疹を発症した。 
その翌日に壮瞥町のゴルフ会『百打会』に出席した。 
まだその時は病気だと気が付いていないので、元気だった。 
それがその翌日から急速に体調を崩して行ったので、それ以来ゴルフはしていない。 
それなのに、農作業はしている私だ。 
 
イコロ農園でひえ取りを手伝ってくれたK会長が『たまにはゴルフをしよう』と提案して来た。その日は帯状疱疹発症から数えて18日目だった。 
私はまだ回復途上で、右上半身が痛くて薬を飲んでいる。 
それでも痛いのを我慢して、頑張ってプレイをすることにした。参加者は私の女房とTさんとK会長の4人である。 
 
1打目を打ったら、体が痛い。球は右の方へ飛んで行った。9歳も年上のK会長にも負けるような飛距離である。 
その後も思うように行かず、体を庇いながらのプレイが続く。終った時はホッとした。でも、なんとか出来たことが嬉しい。 
スコアは45・46といつもとあまり変わらない。 
なんてことだ! 
 
でも、こうやっている内に年を重ね、遂に始めた頃のスコアに戻って人生を終えるのかもしれないなー。 
プレイ後の風呂が気持ち良かったなー。 
 
 
 
(おまけの話) 
亡くなった私の父がゴルフをやっていたので、私もゴルフを始めたのは早かった。確か24~25歳の頃だと思う。 
オヤジが亡くなったのでオヤジの所属していたゴルフクラブに入会し、そこでプレイしていた。 
その頃はそんな若い者はあまりゴルフをしていなかったので、一緒にプレイする人達はいつも私のオヤジのような年齢の人ばかりだった。 
その代りにゴルフを教わるよりは、人生を教わったのが良かったと思っている。 
 
今のように手頃なスポーツではなかったし、練習場も近くに無かったので、いつもぶっつけ本番であった。 
基本も習わずにやっていたので、若いのに50を切ったのは1年も経ってからだった。それから40年もやっているのに、今でもスコアは始めた頃と大して変わらないのである。 
 
『この道、40年』と言えば、大抵の場合はどんな仕事でも名人になっている。 
ところが、やっても上手くならないところが、またゴルフの魅力かもしれない。 
伊達市のKさんが言っていた。 
『上手ですねーと言われるよりは、一緒に廻って楽しかったと言われるゴルフをしたい』・・・と。 
私も今はそれを狙っている。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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