■違反切符
9月4日にスーパーのポスフールから市役所通りの銀行へ向かった。 信号を曲がったところにパトカーが赤信号で停まっていた。
その横をすり抜けたと思ったら、パトカーのスピーカーから、『多摩521の運転手さん。横に停まりなさい』と言われた。
その時間は10時28分であった。
でも、捕まった理由がなんだか分らなかった。
女房は車から降りて、用足しをする為に銀行へ行ってしまった。
私はパトカーの後部座席に乗せられて、免許証の提示を求められた。
そして、『シートベルトの不着用違反』を告げられた。
警察官は『免許証を見ると優良運転手なので、違反点数は1点で、罰金はありません。3ヵ月間、違反が無ければ0点に戻ります』と私に告げた。
警察官が違反切符に記入している間に、もう1人の警察官が、『なぜ伊達市内を走っていたのか?』と聞く。
私は『夏の間の4ヵ月間はここに滞在している』と言うと、キョトンとして、『何をしているのか?』と聞く。
私はこの際だからと大きく出て、『心の伊達市民第一号として伊達市の発展に協力している』と答えた。
なんだか意味の分からない警察官は、その言葉で黙ってしまった。
銀行から戻った女房はパトカーの後部座席に座らされている私を見て、『過去の犯罪歴がバレて捕まったのかと思ってドキドキした』なんて言う。
自分の亭主に向かって酷いことを言う。
私には犯罪歴は無いし、今までの人生は犯罪とは関係なく過ごして来たんだけどなー。これからは分からないが・・・・。
(おまけの話)
私が運転免許証を取得したのは丁度、今から50年前のことである。
15歳の時に免許を取ろうと考えた。当時は16歳になれば普通運転免許証が取れた時代であった。
そこで、オヤジの会社の小型トラックを持ち出して、運転の出来る社員に頼んで無免許で多摩霊園で練習をした。
16歳の誕生日が来た日に、私は鮫津の東京都運転免許試験場に出向いて試験を受けた。学生なので学科は一発で受かった。後日、行われた実地試験で驚いた。
なんと左ハンドルのアメリカ車のフォードで実地試験をしている。私は右ハンドルの小型トラックで練習をしていたので、いきなり左ハンドルでの試験では受かる筈もない。
あえなく落ちた。
落ちても左ハンドルで練習する機会が無い。
そのまま後日、2回目の試験を受けたが、上手く出来たとは思えないが、それでも受かった。
当時の運転免許試験はなんだかよく分からない試験であった。
今なら受験生から文句が出そうなやり方だったなー。