■年寄りに関する諺
新聞報道によると2016年の日本人の平均寿命がまた延びて男性が80.75歳で、女性が86.99歳だという。
これが世界一かと思ったら、そうではなかった。
日本の上を行くのが男女とも香港なのである。「エー!」と思った。
あのゴミゴミとした狭い場所で、しかも生存競争も滅茶滅茶厳しいのになー!
(今回の画像はハワイの天台宗住職の荒 了寛和尚の絵説法から)
香港は中国に返還されて20年経ち、約束の「一国二制度」も反故にされた。その中国の順位を調べたら、世界で53位だった。
長寿は目出度いことなのか? 昔の50歳くらいが寿命の時代は目出度かっただろうが、その時は「介護問題」などというものは想像も出来なかったからではないだろうか?
私は長寿は「目出度い」と思っていない。
周りの友人達は「元気なら、何歳でも生きていたい」と言う。
なにかやり残したことがあるのか聞いてみたが、特に無いようだった。
「2020年の東京オリンピックは見たい」と言う人が多いが、これも私にはよく分からない。
そこで今回は「年寄り」に関する諺を調べてみた。
「年寄りの冷や水」・・・・(若ぶって冷たい水を浴びる)
「年寄りと仏壇は置くところなし」・・・(どちらも大切なものだが、時には扱いに困る)
「老いの繰り言」・・・・(どうにもならないことを老人はクドクドと言う)
「老い木は曲がらぬ」・・・・(若い内なら直せるが、年をとったら直らない)
「老いの一徹」・・・・(年寄りは頑固に自分の意見を押し通そうとする)
「老いては子に従え」・・・・(老いたら子供の言うことを聞くのが良い)
「老いてますます壮んなるべし」・・・・(年をとってもますます元気で意気盛んであるべき)
「老骨に鞭打つ」・・・・・(年をとってもなお努力を重ねていく)
「老いたる馬は道を忘れず」・・・・・(経験豊かな老人は、やり方を心得ている)
こうやって並べてみると、昔から老人は困った存在のようだ。
次の諺など良いと思う人が多いだろうが、私は違う。
「年問わんより、世を問え」・・・(年齢よりも、その人の人生経験を問題にせよ)
世間によくあるが、老経営者はなまじ自分に成功体験があるばかりに、そのやり方に拘り息子の言うことを聞かず会社を倒産させる。私はこんな例を沢山見て来た。
今から振り返っても、私は自分の能力を見極めて、老害になる寸前の61歳で引退したのは正解だったと思う。
後は最後を「どうするか?」だけである。
(おまけの話)
論語にある孔子の言葉が、今にして分かる年になった。
「師曰く、吾十有五にして学を志す。三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」。
このブログは上級の日本語を勉強しているベトナム人達も読んでいるので、今回はかなり難しいのでその意味を解説する。
「私は15歳で学問を志し、30歳で学問の基礎が出来て自立でき、40歳で迷うことがなく なった。50歳で天から与えられた使命を知り、60歳で人の言葉に素直に耳を傾けることが出来るようになり、70歳で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」。
孔子の言葉と自分とを比較してみる。
私は最初から学問を目指さなかった。だから30歳でも学問の基礎は出来ず、40歳では迷ってばかりいた。50歳になっても天命など知らず、60歳では人の言うことなど聞かず、70歳になってやっと人の道から外れるようなことがなくなった。
私はオヤジが早く亡くなったので、22歳で自立した。その後、ズ~と迷い続け、61歳で引退して15年経ったが、人の道だけは外れなかった。
・・・と思っている。