■世界遺産登録推進フォーラム
伊達市には「心の伊達市民」という制度がある。
これは伊達市在住の市民ではないが、伊達市出身者や伊達市を愛する人達を「心の伊達市民」として登録し仮の市民税を支払う。
その代りに伊達産品を送ってもらうという制度で、いわば「ふるさと納税」の走りのような制度である。
私が伊達市に滞在するようになり町の有力者の紹介で「噴火湾文化研究所」の当時の所長であるOさんに出会った。
ある時、彼は私たちのコテージを訪れて「心の伊達市民」の基となるような制度に付いて意見を求めて来た。
私は大賛成で少しの意見も言って、その後、これは正式に制度として発足した。だから私は「心の伊達市民」の第一号に登録した。
赤〇が世界遺産登録予定地域。
「心の伊達市民」には時々、伊達市から色々なお知らせの入った封書が送られて来る。その中には「北海道新聞」と「室蘭民報」の切り抜き記事がコピーで入っている。
それを読んで、私は「伊達市は菊谷市長の下で発展しているなー」と喜んでいる。その中に「北海道・北東北の縄文遺跡群・世界遺産登録推進フォーラム」のことが出ていた。
「朝日ホール」
1月27日に有楽町のマリオン11階にある「朝日ホール」でフォーラムの開催が行なわれると知らせていたので、すぐにネットで参加申し込みをした。
もしかしたら懐かしい元噴火湾噴火研究所のOさんに会えるかもしれないと思ったからだ。午後1時30分の開始に合わせて早めに家を出た。
朝日ホールには300人ほどの聴衆が来ていた。
年齢的には高齢者が多く、若者はほとんどいない。
自分で自分のことは分からないのだが、他の人がみんな私より年長に見えるのは勘違いか?
青森県知事の挨拶に続き文化省の文化財調査官、そして青森県世界遺産登録推進室長が縄文遺跡に付いて講演をした。
【縄文遺跡を世界遺産に】
改めて縄文時代に付いて調べてみた。
【縄文時代とは縄文土器の使われた時代をいい、その時期は1万2000年前ごろから2400年前ごろまでとされている。また、その時代の文化を縄文文化と称している。この縄文文化が、それ以前の旧石器時代文化と 画然と区別される点は、土器と弓矢の出現普及にある】とあった。
パンフレットに入っていたが、「だて歴史文化ミュージアム」が4月3日にオープンするらしい。
元々、現役の時から講演会は苦手で、すぐ眠くなってしまう。
自分が講師をした時は張り切っていたのだから、失礼な話であると自覚していても眠気には勝てない。
うつらうつらの中で聞いたところによると、今回の申請が6回目で、5回も国内の審査で落ちている。でも今回ばかりは、上手く行けば2021年に世界遺産に認定されるようだ。
途中の休憩時間にOさんを探してみたが見当たらなかったので、席に戻らず外に出た。
伊達市在住の野田弘志画伯の作品「縄文人の骨?」。
(おまけの話)
懐かしい噴火湾文化研究所の元所長のOさんの話である。
彼とは伊達市滞在中には親しくしてもらった。
噴火湾文化研究所を何度も訪問し、多くの文化的な歴史遺産を見せてもらった。自宅にも招かれて、手作りの料理もご馳走になったし、素晴らしいオーディオでクラシック音楽も聞かせてもらった。
彼は人柄も素晴らしいし、縄文文化への思い入れは大変なものがある。
私が中学生の時に、発掘を手伝った静岡県の「登呂遺跡」。
私は中学生の時に考古学部というクラブに入っていた。ただ「なんとなく」である。その時にクラブ活動で、何も分からず登呂遺跡の発掘のお手伝いに行ったことがある。
その話をOさんに話したら、「登呂遺跡発掘から日本の考古学が始まった。橋本さんが持っているそのキャリアを私は欲しい」と冗談めかして言っていた覚えがある。
ブログ【考古学では私の方が先輩だ】
北黄金塚遺跡
Oさんが発見した考古学の業績で、今までの学説がひっくり返ったものがある。
それは私達が習って来た縄文時代の貝塚の話で、「貝塚は縄文人が食べた貝殻のゴミ捨て場です」というのは誤りで、「貝塚は縄文人の墓場」ということを発見したのである。
その話をOさんから聞いて以来、私は考古学に興味を持つようになったのである。