■都庁でバンクシーを見る
東京都庁へ行って草間彌生のデザインしたグランドピアノを見て来た時の「おまけの話」にバンクシーのことを書いたばかりなのに、また都庁へ行く羽目になった。
新聞報道で、「5月のゴールデン・ウィークの辺りにバンクシーを公開する予定」とあったのを思い出し、都庁のHPを開いてみた。
東京都庁第一庁舎入口。
すると下記のお知らせがあった。
タイトルは【防潮扉の一部に描かれた「バンクシー作品らしきネズミの絵」の一時公開について】
そのお知らせの内容は「このたび、本年1月16日に取り外し、都内の倉庫で保管していた防潮扉の一部について、下記のとおり一時的に公開することとしましたのでお知らせします」
2階の会場前は早くから報道陣でごった返していた。
「この防潮扉の一部にはバンクシー作品の可能性がある絵が描かれていたことから、真贋の確認や取扱いについて、専門家等の意見も聴きながら検討を行ってきたところですが、現時点で真贋は不明な状況であるため、当面、(バンクシー作品らしきネズミの絵)として取り扱います」。
「公共物への落書きは決して容認できるものではありませんが、一方でこの絵を見てみたいという声や問合せもあることから、一定期間実物を見ていただく機会を設定することとしました」とあった。
カメラマンが撮影し、レポーターの女性が無遠慮に並んでいる私達のことを放送している。「向こうが撮るなら・・」と、私も彼らを撮った。
公開予定は常設ではなく、4月25日(木)~5月8日(水)までの限定公開だった。
そうなると野次馬の私は「行かねばならぬ!」と思ってしまう。
そこで初日の午前11時に間に合うように家を出た。
もしかしたら、なにか式典でもやるかもしれないと思ったからである。
公開時間になりバンクシーが公開されたら、報道カメラマンが一斉に見学者の方にカメラを向けた。
午前10時30分に現地に行ったら、報道陣が群がっている。
バンクシーの公開を見に来る人を取材しようとしているのだ。
私は係員に誘導されて、見学希望者の列に並ぶ。
先頭のジイサンから数えて、私は13番目だった。
もっと大勢、来ていると思ったのだが、予想が外れた。
一般公開の前の報道関係者に公開した時間に、私は潜り込んで撮影した。
カメラマンが無遠慮に、並んでいる私達を撮影する。
報道なら、なんでも許されるのか?
テレビ局の女性が近付いて来て私に言った。
「バンクシーを見た後に、カメラの前でお話を伺えますか?」。
私は答えた。「困ります。指名手配をされているので・・・」と言ったら、ギョッとして去って行った。悪い冗談だったかなー?
赤字の「通」は、切り取った扉に書いてあった「通行止め」の一部。
肝心のバンクシーだが、防潮堤の扉に描かれていたので、扉ごと切り取ったらしい。その証拠が赤い字の「通」が絵の上にある。
最初は「通ってなんだろう?」と思ったが、説明文で「通行止め」の一部の「通」と分かった。
その間もズーとテレビカメラが私を狙っているのが分かったが、どうしようもない。この頃には50人以上も並んでいたので、2~3分で席を譲った。
夜のニュースで私の野次馬顔が、日本中にばら撒かれたかもしれないなー。
絵画の前はガラスなので、報道陣のカメラのフラッシュの光が反射してしまう。
(おまけの話)
小金井に住んでいる時は、私にとって「都会と言えば新宿」だった。
吉祥寺は近いが、都会というより普段着で食事や買い物に行く場所だった。
銀座は小金井の田舎者には敷居が高く、買うものも無いのであまり行くことはなかった。それが今では1週間に3~4日も行くようになったのだから、人生は分からない。
新宿住友ビル(通称・三角ビル)は大規模改修中だった。
小金井と銀座の中間の新宿は、現役の時の重要な取引先があった。
しかも都庁の目の前の新宿住友ビルの31階にあった。
あれから20年以上も経って、自分がそれより高い部屋に住むとは想像も出来なかった。
通い続けた3階にあった床屋は閉店となり、今は有楽町店に併合されて、私はそこへ通っている。
その時の技術者も移って来ているので、安心感がある。
都庁46階の展望階から見たオフィス街(小雨でモヤっていた)
都庁でバンクシーを見た後に、懐かしいので新宿住友ビルに行ってみた。ところがいまはビルの大規模改修工事の真っ最中で、オフィス階しか行けないことが分かった。
このビルが完成したのは1974年で、その時に取引先もこのビルに移転して来た。あれから45年も経っている。
大学卒の人が22歳で就職すれば、45年も経てばみんな67歳で定年を過ぎている。新宿住友ビルに行ってみて、時の経過を体で感じた。
あの時はもう戻らない。
夕方のTBSのニュースを見ていたら、私が映っていて驚いた。(右端)