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[2019.08.27]
■人生いろいろ(6) 
 
現役の時に私の会社の近くにあった、金属加工業の社長(Xさん)と親しくしていた。取引関係には無かったので、気楽に何でも話せた。 
 
当時はバブルが始まった頃で、私の会社にもお得意様から「中国に工場を建てて、我が社の仕事をしてくれないか?」と打診があった。 
 
大江戸線「清澄白川駅」の壁面は、上下線ともこのような鋼鉄製の壁画がある。 


私はなんだかんだと言い訳をして、中国行きを断っていた。 
Xさんの会社の仕事は大手電機メーカーの下請けで、金属加工を行っていた。 
 
そんな時にXさんから相談があった。 
「親会社から中国へ出てくれ。聞き入れられないなら、中国の会社に仕事を出すと言われている」と言った。 
 
 
 
常々、Xさんは「私の会社の加工技術は優秀で、他社では絶対に真似が出来ない」と言っていた。それを知っていたので、私は「他社の真似の出来ない技術があるなら、行く必要は無い」とアドバイスした。 
 
しかし世の中の中国バブルに引き寄せられて、上海に工場を出すと決めてしまった。 
 
 
 
私 「あなたは中国語は出来ないんでしょう?」 
X  「通訳を雇う」 
私 「通訳がウソを言っても分からないよ」 
X  「でも会社が発展できるチャンスだと思う」 
 
 
 
そこで最後のアドバイスとして、「行くのは簡単だが、帰って来るのが難しい。そのことも考えておいた方が良い」と伝えたのである。 
その後、上海に工場を出したので、私は彼の工場を訪問したことがある。 
 
通訳頼みの会社経営はあまり上手く行かず、かなり苦労している様子が覗えた。 
 
 
 
その内に親会社も中国に慣れて来て、Xさんの会社と品質は同じで、もっと安い地元の会社を見付けてしまった。そして、強硬に値引き要求をして「応じなければ発注先を代える」と脅かされて、渋々と応じて、ますます業績が悪化した。 
 
その一方で、従業員は少しでも給料の高い会社があると、すぐに辞めてしまう。 
 
 
 
遂にはサラリーマンだった長男まで会社を辞めさせて、上海工場に入れてしまった。 
銀行からの借入金は増え続けるし、人件費は上昇するし、親会社からは値引きを要求されて、二進も三進も行かなくなった。 
 
ある時、Xさんからメールが来て、「橋本さんから言われた、(中国から帰る時のことを考えておけ)がいま分かった」とあった。 
もう遅い。「人生いろいろ」である。 
 
 
 
(おまけの話) 
上海のXさんの工場を訪問した時の話である。 
Xさんの話では「社員食堂の無い会社は従業員が集まらない」とのことだった。 
 
昼休みになると、従業員がゾロゾロと食堂に向って歩いて行く。 
その手には、洗面器のほどの大きさの食器を持っている。 
Xさんの話では「朝飯を食べて来ないので、昼飯に2食分を会社で食べる」とのことだった。 
 
 
 
更に驚く話を聞いた。 
Xさんの工場は貸工場なので、毎月、大家さんに家賃を支払っている。 
ある時、大家さんに会ったら、「なぜ3ヵ月も家賃を払ってくれないのですか?」と詰問された。 
 
Xさんは毎月、銀行からお金をおろして経理部長を通じて支払いをしていたので、驚いて「払っていますよ!」と言ったが、大家さんは「もらっていない!」と言う。 
 
 
 
経理部長を呼んで、「なぜ支払わないのだ!」と怒ったら、意外な返事が返って来た。 
「怒られる筋合いはない。褒められるべきではないか?」と言ったのである。 
 
その理由に、更に驚いた。「支払うべきお金を3ヵ月も伸ばせたのは、私の力量である!、ボーナスを増やしてくれ!」と言ったのである。 
 
日本の常識は世界の常識ではない。 
そんな中国で苦労したXさんは、今はどうしているか? 
人生いろいろである。 
 

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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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