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[2019.10.10]
■飛騨高山の旅(4)
(2016年10月09日) 
 
高山の古い一般住宅の造りが面白い。 
今までに何回も高山に来ているが気が付かず、今回、初めてそのことに気が付いた。 
 
高山の古い民家やお店の特徴は、よく見ると「長屋」になっている。  
間口は狭くて、奥に深い敷地に合わせて細長い家が多い。 
 
3軒が連なった民家。柱は共有していないが、壁は共有していそうだ。 


家やお店の中に入ってみると、奥行きの深さに驚かされる。 
実は義兄の家も新しく建て直す前は、敷地も家も細長かったのである。 
 
この様式は京都と同じで、京都は幕府が家の間口の広さで税金を決めていたので、庶民はそれに対抗して敷地と家を細長くしたという経緯がある。 
 
5軒長屋。 
奥から1軒、1軒、3軒になっているので、屋根もそうなっている。 
 
 
では「高山はなぜそうなのか?」と義兄に聞いたが分からない。 
更に驚くのは、隣の家同士が密着していて、お互いの家の壁を共有しているので外壁が無い。 
 
要は隣の家とは「隣の部屋」という感じになっているから驚いた。 
お隣さんとは家の造り、屋根の高さ、色などは違うが、室内の柱と壁を共有しているという構造は余程よく見ないと気が付かない。 
 
道路に面した商店は限りなく長く連なっている。 
柱は別々の店もあれば、壁を共有している店もある。 
 
 
義兄の家を新築した時に設計・監査をお願いした人が、高山で骨とう品店を開いている。彼は今は骨とう品店のオヤジだが、元々は東京の建築会社のサラリーマンだったので、高山の建築に付いても詳しい筈だ。 
 
義兄は留守中の家の見廻りもお願いしているので、高山に来た時はいつもご夫婦を食事に招いて色々と相談をしているらしい。 
 
高級料亭「角正」の玄関。 
 
 
そこで高山に来て4日目の10月8日に、精進料理で200年の歴史がある料亭の「角正」で一緒に食事をすることになった。この料亭は義兄の親戚である。そして私の疑問を専門家にぶつけた。 
 
戸建ての部屋で窓から苔の生えた庭を見る。 
 
 
骨董屋で建築家のオヤジの答えは、次のようなものだった。 
*京都の細長い家の造りとは、歴史的にも関係無い。 
*京都の長屋には、昔は下級武士や町人が住んでいた。 
*家の柱と壁は共用しているが別の家である。 
 
*でも屋根を共有しているので、ネズミが自由に行き来している。 
*個人的に新築するのは、実体としては両隣の関係があり難しい。 
*仕方ないので、多くの家はリフォームで済ます。 
 
最初に出て来た料理は美しい。 
箸は雷除けと言われる「槐(えんじゅ)」の木で作られている。(お持ち帰り可) 
 
 
*どうしても個別にしたい時は2軒の真ん中の壁を半分には出来ないので、個別にしたい方が壁分の厚さを引っ込めて建て直すことになる。その分は狭くなる。 
*戸建てにした場合は隣家との境界の壁が無くなるので、こちらの負担で外壁を作ってあげる。 
 
*リフォーム、建て直しのどちらでも、その場合は現在の建築基準法を守らなければならないので、基準法を守った家にするのは至難の業である。 
 
「古い町並みを守る」というのは、住む人に相当な我慢を強いていると分かった。 
 
建築家の骨董店の店内風景。 
 
 
(おまけの話) 
数年前に義兄は高山の実家を取り壊して、同じ場所にモダンな古民家風の家を建てた。でも、その時は両隣と壁1枚で繋がっていたので、それをどうしたか聞いてみた。 
昔から建物が古くなると、建て直しや新築は普通にあった。 
 
この家は柱も壁も共有していそうだ。 
 
 
そんな時には昔からなんとなく取り決めがあったそうで、今でも続いている。 
 
義兄の家は両隣りに挟まれていたので、義兄の家を取り壊すと両隣りは壁が無くなってしまい風雨が入って来る。 
そこで建て替える家は隣の家と話し合い、こちらの費用で外壁を作ってあげるのである。 
 
「古い町並み」のあった古民家。ここも柱も壁も共有していそうだ。 
 
 
義兄の家はこの機会に戸建ての家にしたので、もうお隣と壁の共有は無くなった。細長かった家は前の方を駐車場と庭にして、半分くらい奥に以前より小さな家を建てた。 
 
今は建蔽率という法律もあるので、建て替えすると小さな家になってしまうので、多くの人はリフォームで頑張っているが、地震にいつまで耐えられるか? 
 
今日は「高山祭」の初日の宵祭で写真撮影を期待しているのだが、天気予報ではあまり良くないので、中止を恐れている私だ。 
 
 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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