■東京拘置所へ行く
(2017年10月09日) 私が好きなネット放送に「放言BAR リークス」という番組がある。
この番組のホストは、これもまた私の好きなジャーナリストの高山正之氏が務めている。
2週間に1度の放送だが、いつも楽しみにしている。
最近の放送で、ゲストに田母神 俊雄氏が登場した。
ネット放送「放言BAR リークス」
彼は元自衛隊第29代幕僚長を務め、前回の都知事選にも立候補して選挙違反の容疑で逮捕されて、しばらく東京拘置所に収監されていた。
今は裁判の第一審で有罪となり上告中のようで、私は選挙違反があったかどうかは良く分からないが、番組では拘置所内の色々な事情を話していた。
左は高山 正之氏、右は田母神 俊雄氏。
彼が収監されていた東京拘置所は以前は巣鴨にあり、第二次世界大戦後の東京裁判で有名になった「巣鴨プリズン」である。現在は巣鴨プリズンは解体されてサンシャイン・シティとなっている。
刑務所と拘置所は全く違う施設であることを、この番組で知った。
刑務所は「刑を執行する場所」で、拘置所は「被告人や被疑者が裁判の判決が出るまで収容される場所」であることを田母神氏の話で知った。
東京拘置所矯正展のポスター。小菅駅ホームから巨大な拘置所の建物が見える。
だから、死刑囚は「まだ死刑が執行されていない状態なので、拘置所に入る」のである。あの真理オーム教の教祖で死刑囚の麻原彰晃も、現在でも小菅拘置所にいる。裁判を待つ被告と死刑囚が同じ施設に収容されているというのも、なんだか可笑しい。
・・・というわけで、東京拘置所に行ってみた。
1年に1回だけ、東京拘置所では「東京拘置所矯正展」というのを開催していて、それが運良く?、9月30日に行われることを知ったのである。
拘置所への道には面白い看板が出ている。「面会差入れは・・」
「保釈保証金」の立替屋もある。
勝どき駅から大江戸線に乗り、2回の乗り換えで34分で東武伊勢崎線の「小菅駅」に着く。改札口を出ると、そこは何も無い路地だったのは驚いた。拘置所への道はすぐに分かった。
大勢の人達がゾロゾロと歩いて行くからである。
10分ほどで拘置所の入口に着き、 手荷物検査を受けて中に入る。
でも「入る」と言っても限られた場所だけで、建物の中には入れない。
手荷物検査が終り、矯正展会場に入る。
午前9時になり、赤毛氈が敷かれた仮舞台にお偉方が並び、司会者に紹介される。中央に3人の茶髪の若者がいて私は知らなかったが、いま人気の歌手グループだそうだ。
最前列には若い女性達がいて、「キャー」なんて叫んでいる。
そして最初に挨拶をしたのがこの若者で、挨拶はそれで終りで足立区長も拘置所の所長の挨拶も無かった。しかも若者グループの歌も無かった。
あれはなんだろう?
茶髪の若者3人組が式典開始の挨拶をする。
式典を終るとテープカットが行われ、後は会場に設けられた小間を見て廻る。全国の刑務所の作業所で作られた製品を格安で販売している。
また区内のボランティア団体や事業所などからも、色々な物が出されて販売されている。
まあ言ってみれば、「刑務所マルシェ」である。
「建物の中に入れるかも?」と期待して行った私だが、あまり面白くないのですぐに帰って来た。
茶髪3人組に近付かないように、若い女性たちを制止する刑務官達。
(おまけの話)
私は今までに色々なところに行ったことがあるが、さすがに拘置所は初めてである。でも読者のみなさんが行ったことの無い「刑務所」に私は入ったことがある。
・・・と言っても「刑期を務めるため」ではなく、仕事で入ったのである。入った刑務所は元の自宅からも近い府中刑務所である。
若者3人組の挨拶が終り、矯正展の開始のテープカットをするお偉さん達。
府中刑務所と言えば、普通の人が先ず思い起こすのは「3億円事件」であろう。その次は作家の阿部譲二のデビュー作である自伝的小説「塀の中の懲りない面々」を思い起こすことが出来る。
でも私は違う。
私の会社で製造していた、金属のパイプを切断する装置の修理の為に行ったのである。
以前の私の住まいの近くの府中刑務所も「木製品」を出店していた。
事前に諸情報を登録しておくと、意外に簡単に中に入ることが出来る。
懲役刑の受刑者は刑務所内で色々な仕事をする。その中に鉄パイプを切断する仕事があった。
たまたま受刑者の装置の扱いが悪く刃物を割ってしまったので、その修理である。修理費は当時の金額で5万円ほどだったと思うが、その時の刑務官の言葉が可笑しかった。
「今度、また割ったら、刑期を伸ばすぞー!」。
「開かずの門」
1879年に日本で初めて作られた刑務所の門扉が記念に残されている。