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[2020.01.23]
■お寺の掲示板(2)
 
以前に「お寺の掲示板」という題名で、ブログを投稿したことがある。 
今回は、その時の「続き」の話である。 
 
その時に全国寺社観光協会から「銀座にお寺が無い理由が分かったら教えて欲しい」とお寺の専門家から素人の私に依頼されていたのが、どうにも気になっていた。 
 
銀座「シャネル」のショーウィンドー(1) 


そこで再度、ネットで「銀座、寺」で検索した。 
するとなんと一軒のお寺がヒットした。 
お寺の名前は「銀座文殊院」という名前で、住所からすると数寄屋橋交差点の近くだ。 
 
でも「そんなところにお寺があるはずがない」と思ったが、念のために住所を頼りにその場所に行ってみた。 
 
銀座「シャネル」のショーウィンドー(2) 
 
 
住所の場所は小さな飲食ビルで、1フロアに1軒だけの細長いビルの作りになっている。1階の案内板を見ても、どこにもお寺の案内は出ていない。 
 
雰囲気からしても、エレベーターに乗って各階を確認するまでもないと思った。そこで確認は止めて、家に戻りネットで「銀座文殊院」をもう一度調べてみた。 
 
お寺があるはずの住所の茶色のビル。 
 
 
住所も間違っていない。しかし本来はあるはずの何階であるかが書いてない。その画面の下の方に銀座文殊院のHPがあったので、それをクリックしたら「このページは表示できません」と出た。 
 
理由は良く分らないが、どうもこれは宗教法人の登記をこの住所で行っただけで、なにかの事情があるに違いないと思った。 
現地調査の結果、やはり「銀座にお寺は無い」のである。 
 
1階の入口は飲食店の派手な案内板があるだけ。 
 
 
そこで最終手段として、私が門徒になっている築地本願寺に行って「なぜ銀座にお寺が一軒も無いのか?」を聞いてみることにした。 
 
案内所で聞いたら、そこにいた坊さんは「私は大阪から来ているので、分からない」と言う。そこで隣にいた女性に同じことを聞いた。 
すると彼女はどこかに電話して、少し経ってから年配の女性がやって来た。 
 
近くには「銀座の恋の物語」の碑がある。 
 
 
私は彼女に事情を話した。「お寺の掲示板という本を読んで、とても興味が沸き、近くのお寺を見て廻っている。しかし銀座には神社はあるが、お寺が無い」。 
 
「中央区観光協会と全国寺社観光協会に問い合わせたが、どちらも分からないと言う。そこで最後の頼みの綱として、本願寺に来た」。すると彼女の返事は、「明日の午後までに調べておく」ということになった。 
 
私が門徒の築地本願寺。 
 
 
翌日の午後に築地本願寺に回答を聞きに行った。 
受付で僧侶が待っていて、私に説明してくれた。 
私の理解度に問題があるのか、要は「銀座には元々、お寺は無かった。」ということだった。 
 
その回答では私はなんだかまだスッキリしないので、「銀座の街研究会」というグループのHPから、また同じ質問をメールで送信したのだが、その回答も、私には納得し難かった。 
 
築地本願寺の12月の掲示板の言葉。 
 
 
(おまけの話) 
そこで自分で徹底的に調べることにした。そしてネットで見付けたのが「寺社分布と機能から見た江戸の宗教空間」という論文だった。 
 
長文の論文であるが、要約すると「現在の中央区近辺には昔は65社の寺院があった」と分かったのである。 
 
それなら銀座に1社や2社のお寺があったとしても不思議でない。 
これで「銀座にお寺があった」ことにしよう。 
なお私の調査によると築地は名の通り埋立地だが、銀座は埋立地ではなかった。 
 
正月飾りをした「仲見世通り」(浅草寺) 
 
 
中央区のお寺は1600年代中頃から、3つの事情により幕府から移転を命じられたのである。 
1、市街地の拡大。 
2、武家屋敷の需要増大。 
3、明暦の大火後の都市計画。 
 
これ等の理由で、中央区からお寺が消えたのであった。 
しつこく調べてみて良かった。 
 
お寺の掲示板を探す旅で、最初はこんな学問的な結末まで行くとは思いもしなかった。現役の時なら、途中でバカらしくなり止めていた。 
 
「圓照寺」(西浅草)・・・★★(手書き) 
 
 
これで少しスッキリしたら、次はなんとか本願寺以上の掲示板の言葉を探したくなった。そこで先ずは浅草に行った。 
浅草と言えば「浅草寺」である。 
 
アチコチ探したが、どこにも無い。 
そこで少し離れているが、東本願寺に行ってみた。ここにも無い。 
しかしその辺りは寺町で、小さなお寺には手書きの言葉があった。 
だが残念ながら、面白いものは無かった。またの機会に探してみよう。 
 
来応寺(西浅草)・・・手書きだが、自分の言葉でないので★ 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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