■山岡鉄舟と徳川慶喜
NY時代の友人で清水市に住むMさんから、「山岡鉄舟」に関する資料が送られて来た。私は山岡鉄舟のことは詳しくは知らなかったので、資料を読んで、もっと詳しく知りたいと思い図書館から「決定版 山岡鉄舟」という本を借りて来た。
この本は371ページもある分厚い本で、7月の4連休を利用してやっと読み終えた。
「決定版 山岡鉄舟」★★★
371ページは、さすがに読みごたえがある。
その本で私は「山岡鉄舟」のことを、かなり詳しく知ったのである。
詳しくは本を読んでもらうとして、幕末から明治維新までを駆け抜けた最後の武士かもしれない。
彼は剣の達人で「無刀流」という流派を立ち上げて、「戦わずして勝つ」という座禅から学んだ死を恐れない無私無欲の精神を貫いたのであった。
台東区谷中の「全生庵」
西郷隆盛と勝海舟のとの会談の際、西郷が鉄太郎(山岡鉄舟)を思い浮かべながら語った言葉に有名な一節がある。「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものである」。
「この始末に困る人でなければ、艱難を共にして国家の大業は成し遂げられない」。この言葉は引退して人生の残り時間が少なくなった今だから分かるが、私が現役の時なら全く分からなかっただろう。
山岡鉄舟の墓に向かう小径に「梅干し」を作るのか、梅が干してあった。
その山岡鉄舟のお墓が台東区谷中にあると知って、早速出掛けて行った。寺は臨済宗国泰寺派で、その名は「全生庵」である。
この寺はまた山岡鉄舟と深く交流していた、幕末から明治に活躍した落語界の大看板である三遊亭圓朝の収集した幽霊画が保管されていて、運良く8月はそれが一般公開されていると知った。
「三遊亭圓朝」の墓。
最近は「早とちり」が増えている。上野松坂屋前から、「早稲田行」の都バスに乗った。持参した地図では「千駄木」で下車だったが、近くに来たのにそんなバス停は無い。
気が付いたら、地図の「千駄木」は、地下鉄の「千駄木駅」だったのである。慌ててバスを降りて、2停留所を歩いて戻った。
「山岡鉄舟」の墓。
焦りもあり、もう汗ビッショリである。
交差点を曲がり上り坂の寺町の中に、目当ての「全生庵」があった。
本堂でお参りをしてから、本堂横の小径を山岡鉄舟の墓に向かう。
右手に三遊亭圓朝の墓があり、その先に立派な山岡鉄舟の墓があった。
誰もいない墓の前で、しばし瞑想に耽る。
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、歴史は事実だから面白い!
「幽霊画」を見た時に頂いた三遊亭圓朝の描いた幽霊の団扇。
墓参りを終えて、本堂横にある「幽霊画」の展覧会を見る。
それほど広くない部屋に、30枚近くの幽霊画が飾ってある。
どういうわけか、幽霊画のほとんどが女性である。
男は死んだら成仏するが、女は恨みを持ち続けて幽霊になって出て来るのかな? 幽霊画だけが飾ってある部屋というのは、薄暗い照明のせいもあり1人でいると怖い。
パンフレットに載っていた「幽霊画」(入場料500円)
(おまけの話)
持参した地図では、全生庵からすぐのところにある「谷中墓地」にも行った。そこには江戸幕府最後の将軍である、「徳川慶喜」の墓がある。
江戸城無血開城の影の立役者である山岡鉄舟の墓と近いのも、なにかの因縁か?本を読んですぐに行ったせいか、幕末から明治にかけての歴史に近付けたような気がしてワクワクした。
「徳川家の墓」(3つあるので、どれが慶喜の墓か、分からなかった)
谷中墓地には徳川慶喜の他にも、有名人の墓が多くある。
鳩山一郎、渋沢栄一、長谷川一夫、横山大観、森繁久彌などの墓がある。地図では全生庵からは「近い」と思っていたが、歩くと近くなかった。
この日は気温が30度を越えていたせいか、ヨロヨロと歩いてやっと谷中墓地に到着した。
入口に近い所に「徳川慶喜の墓」の案内板が出ていた。
「長谷川一夫」の墓。
それに沿って細い道を進むと、かなり広い徳川家の墓地があった。
ところが囲いがあって中には入れない。
夏草が生えていて、手入れがあまりされていない。
鉄の門の外からお参りをして、他の有名人の墓にお参りするつもりだった。他の有名人の墓は案内板が無い。家から用意して来た地図を頼りに、墓を探す。
やっと2人分だけ見付けたが、もう熱中症になりそうなので、ここで切り上げた。
「鳩山一郎」と鳩山家の墓。
ルーピーこと「鳩山由紀夫」も、ここへ入るのかな?