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[2009.04.23]
■マレーシアの『Liberty号』からのメール
2005年5月22日に私の同級生のH君が福島県小名浜港からヨット『Liberty号』で世界一周の旅に出た。 
クル―は3人で、その年になるまでみんなヨットは全く経験が無かったので、かなりの冒険である。 
出航前にそれなりにトレーニングはしたが、定年後に始めたヨットなので、帰って来られないのではないかとみんなが心配した。 
 
出航の時はみんなで盛大に見送りに行った。 
もう2度と会えないと思ったからだ。 
 
出発前に小名浜港でリバティ号と筆者 
 
その後、太平洋を横断しなんとかアメリカ西海岸に到着し、そこからアメリカ大陸を南下した。そしてH君は2007年1月にパナマに着いたところで、健康上の理由でヨットを降りて帰国することとなった。 
 
小名浜港沖のLiberty号 


Liberty号はその後も航海を続け、今年になってマレーシアに到着した。 
そこから予定を変更して日本に戻ることになったLiberty号に乗る為に、H君はマレーシアに飛行機で向かった。 
先日、H君はその報告に我が家にやって来た。 
 
H君は言った。『俺の旅は終っていなかった。ここで乗船しないと人生に悔いが残る』と、なんとも格好いい言葉を吐いて帰って行った。 
 
(おまけの話) 
そして、H君は4月21日にマレーシアからメールを送信して来た。 
『・・・・・・・、健康上の理由により、パナマから途中帰国しておりました。ヨットと船長の弟はその後も、延べ10人を越える海の多国籍ヒッチハイカーと共に旅を続け、南太平洋を西に航海してタヒチやオースラリアをまわり、昨年暮、マレーシアに到着。 
その後、更に西に行くかどうかを模索していましたが、このたび急遽日本に帰ることになりました。 
 
マレーシアのLiberty号とH君 
 
自分の気持ちとして旅はまだ終ってない私としては、旅をフィニッシュするべくヨットを迎えに来たわけです。 
明日23日にここを出航して、かの有名なマラッカ海峡に出ます。その後、シンガポールを回り、ベトナムとフィリピンの間をまっしぐらに北上して台湾経由、日本に帰るコースをとる計画です。日本まで2ヶ月弱の航海を予定していますが、すべては天候次第。台風シーズンの前に日本のどこかにたどり着きたいと思っています。それでは皆さん、ご機嫌よう!』 
 
人生の終盤に思いきった冒険をし、孫子の代まで語られる物語を完成しようとしているH君が私は羨ましい。 
私には語るべき物語も無い。 
 
せめて私は夢の中で、H君の冒険に便乗させてもらおう。 
一緒にヨットで冒険旅行に行ったつもりになりたい方は、下記のアドレスでご覧下さい。 
航海の途中でも衛星通信でHPに航海の様子が載ります。 
Liberty号のホームページ  
http://www.ne.jp/asahi/liberty/sevenseas/ 
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▼コメント(2)
名前:shinji  2009.04.24 13:16:10
人生はそんなにドラマチックでなくてもいいです。あたりまえの人生の中に、十分に語るものがあると思います。あたりまえの人生の豊かさ、深さ、かけがえのなさ、に気づけさえすれば。 
名前:榎本宣道  2009.04.23 10:29:22
いつも楽しいブログを有難うございます。初めてでも命を掛けた冒険ができるものなのですね。感心しました。橋本さんには「二人の旅を探して」がありますね。あの曲は思いうかべるだけで胸が締め付けられます。あの旅の続きを楽しみにしています。 合掌 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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