■携帯電話を洗濯する
同級生のY君は昨年末に奥さんを亡くした。 彼は病床の奥さんに私が傍から見ていても、驚くほどの愛情で看病をした。
それで彼は吹っ切れたのか、或いは納得したのか、奥さんが亡くなった後にはその空白を埋めるかのように、手帳の余白も無いほどに予定をギッシリと書き込んでいる。
そんな彼が私を高幡不動尊の紫陽花祭に誘ってくれた。
ある事情で携帯電話の無い私は、12時丁度に京王線の高幡不動駅前で同級生3人と待ち合わせ、食事をしてから紫陽花の写真を撮りに向かう。
高幡不動尊
高幡不動はアジサイ祭を行っていて、本堂の奥の山は紫陽花で溢れている。
珍しい花、綺麗な花、可憐な花、野性的な花など、その種類は驚くばかりだ。
ここでもいつものように暇人のジジババで溢れている。
私は花の種類の多さよりも、同じ花の数の多い方が好きだ。
全山が同じ色の紫陽花で覆われていたら凄いだろうなーと想像した。
紫陽花はこの時期には我が家の庭でも咲くし、歩いていると町のアチコチで見掛ける花である。
わざわざ高幡不動まで行かなくても見られるが、私は伊達行きの前の忙しい時間を割いて、Y君の手帳の空白を埋めるために協力したのである。
私にでも出来るボランティアは、こんなものであると言ったら怒られるかな?。
(おまけの話)
私がソファで寛いでいたら、私が脱いで床に置いてあったジーパンを見付けた女房はそのジーパンを洗濯機に入れた。
少し経ってから、私は携帯電話の無いことに気が付いた。
その携帯電話はジーパンのポケットに入れてあったのだ。
女房は慌てて洗濯機に駆け寄ったが、その時は既に脱水を始めていた。
それで私の携帯電話の寿命は尽きた。
契約の関係で、2年間は新しい携帯電話に変えるには買うほどの違約金を払わなければならない。
更に新規の購入代金も必要と分かり、あまりのバカバカしさに修理に出すこととなった。
なにごとも『得する』との宣伝文句に釣られて、安物を買ってはいけない。
そのせいで、2週間も携帯電話の無い生活が始まった。
そして分かった。
携帯電話は無くてもなにも困らないのである。
私は単に携帯依存症に過ぎなかったのである。