■田圃も国際化
天気が悪くなければ、毎日のように田圃に入り「ひえ」を取っている。 ある日のことである。珍しくTさんが田圃に入った。
そして30分ほど「ひえ」を取ってから言った。
『田圃のひえ取りは大変だねー』。いま頃になってやっと分かったようだ。
殆どのひえを取り終わる頃になって、田圃に色々な雑草が生えて来た。
雑草は栄養分を奪ってしまうので、米の出来に影響する。
私はもしかして、味にも影響するのではないと思っている。
昨年には無かったような雑草も生えて来た。
農業改良普及センターの専門家にも来てもらい、見てもらったが、その場では分からない。
あとで調べて連絡をくれることになった。
いつも田圃の指導をしてもらっているSさんにも来てもらった。でも、分からない。
『うちの田圃には無い種類の雑草だなー』と言う。
Sさんの話では、『牧畜用に輸入された穀物に混じって入っている外国産の雑草の種が、雨水に混じって田圃に流れてくるのではないか?』と言う。
そうなると、もうお手上げである。
しかも、この田圃はホタルを育てているので、農薬は厳禁である。
田圃も変なところで国際化している。
これから先も、「ひえが終ったら、外来種の雑草を抜くしかないのか?」
これで美味しい米が出来なかったら、来年は田圃に入るのを止めようと思う。
その為には私の後継者を、『騙して探さねばならないなー。』
(おまけの話)
私が初めて北海道を訪問したのは、52年前の中学3年生の時である。同級生のS君に誘われて、他に2人を誘って4人で夏休みに出掛けた。
S君の実家は歌志内にあり、我が母校に北海道から入学した生徒は創立以来初めてであった。
歌志内に行ってみて初めて知った。
彼の家は住友炭坑の社宅街にあった。
お父さんは住友炭鉱の役員で、経済的に余裕があったので、教育熱心なお母さんが東京の中学に行かせたのだろう。
その時は炭鉱の一番奥の石炭の採掘現場まで行って、作業を見たが、大変な仕事だなーと思った
その後は北海道とは縁が無かったが、なんと次の機会は新婚旅行で行ったのである。
その後は何回も観光やゴルフで行ったが、まさか『心の伊達市民第一号』になるほど北海道伊達市に深く入り込むとは思わなかった。
このように、人生とは全く先のことは分からないのであるから、いつも心をフリーにしておこう。