■最後の晩餐 3連チャン
今回の伊達市滞在は例年よりかなり短く、8月30日で終了となった。 なんでも『これが最後』というのは寂しい。
伊達を去る前の、女房と2人だけでの夕食は更に寂しい。
そこで、最後の晩餐の29日はイコロ農園で農作業を一緒にしたTさん夫妻とKさんとIさんの奥さんの6人で、中華料理店の『菜菜』で行うことになった。
創作中華料理『菜菜』
通り掛かりで私の車が駐車場に停まっているのを見付けたSさんが、飛び入り参加をしてくれた。みんな気の良い人達である。
27日は壮瞥町のIさん夫妻と洞爺湖温泉の寿司竜でお別れだった。
28日にはAさん夫妻と「ひろや」で行ったので、最後の晩餐の3連チャンであった。
ひろや
菜菜のオーナーの奥さんは私のブログのファンだと言う。
そういう私は菜菜のファンである。
本格的中華料理でないというところが、私達が気に入っている理由である。
お互いにファン同士であるから、こちらが得をする。
なぜなら、料理を一品、サービスで出してくれたのだから・・・。
菜菜メニュー
最後の晩餐なのに、みんなは世間話などをしていて、私の病気のことには触れない。
きっと、これが本当にこの世の最後になると思っているのかもしれない。
大丈夫です。来年も飽きられても、また行きます。
(おまけの話)
この町で私がいまだに受け入れ難い習慣がある。
それは飲食店の支払いの時の請求方法である。
『お勘定をお願いします』と言うと、店の者が小さな紙切れに金額が書かれたものを持って来る。
それが私の支払額であるらしい。
でも、明細は分からない。
スーパーで沢山の買い物をしても、明細は付いて来る。
だから、私が何を買ったか?、幾らだったか?は、後からでも確認できる。
でも、この町の飲食店ではそれが出来ない。
何が幾らだったのかを知りたいと思うのは、東京から来た人の普通の感覚である。
『紙切れに書いて渡す』という習慣は東京にもある。
それはバーや高級料亭である。
接待する側が、お客様に支払い金額が分からないようにする為である。
いわば大人の接待文化なのである。
今年最初のらくよう
この町でも、明朗会計を望む多くの若者にはこの習慣は受け入れられないのではないか?
このままでは、ますます若者がチェーン店の飲食店に行ってしまい、地元のお店に行かなくなることを私は心配している。
人は古くからの習慣が今の時代に合わなくなっているということを理解するのは、なかなか出来ないのであるが・・・・。
このことに付いては、読者からの反応やコメントを期待している。